2013年10月14日月曜日

「精神の生態学」ただし仏教について・・・・



よく自己啓発なんかのセミナーで「本当の自分を探しましょう」「本当の自分ってなぁに?」みたいなことを言っている人たちが居るのだけれど、これってなんか怪しいのですよねぇ。

で、この対極にある考え方として人類学者のベイトソンがロジックにロジックを積み重ねて考えた答えが、「自己とか自我なんてそんなもん最初からねぇよ(無自我)」「世の中変化しないものなんかねぇよ(無常)」「世の中無関係で存在しているものなんかねぇよ(縁起)」みたいなことなのでよすねぇ・・・・これって仏教の認識論みたいじゃないですか・・・・・というわけです(笑)。

で、こういった枠組みで心理療法家のミルトン・エリクソンの技法を観察して、ベイトソンの目を通して体系化された短期療法は、無自我、無常、縁起みたいな考え方の元で取り出されてくることになるわけです。だから、自分探しみたいなことはやらない・・・・・「自己って?自我ってそれは食べられるの?」ということになるわけですねぇ。

さらに、ベイトソンの一族ってニュートンなどと同じで英国ケンブリッジあたりに生息する無神論者の家系だから、キリスト教の一元論的考え方なんて端から考慮していない・・・ということになって、ベイトソンが唱えていた「ディープ・エコロジー」って言っていることとやっていることは天台本覚の「山川草木悉皆成仏」であるわけで、日本って既に平安時代からやってまんがなぁ・・・・ということになってくるわけですねぇ。

でも、こう考えてくるとベイトソンが研究した短期療法ってある意味仏教の一流派かもね・・・って思えてくるわけですが自己とか自我を固定していないところがメチャメチャ格好よいのですよねぇ・・・・・言ってみれば、システム論的、あるいはサイバネティクス的な仏教って感じですねぇ・・・・・・・


 独り言


「精神の生態学」ただし仏教について・・・・

読んでいて面白かったので「Buddhist Steps to an Ecology of Mind: Thinking about 'Thoughts without a Thinker'[1]というエッセーをご紹介しておきましょう。

このエッセーはタイトル中に人類学者グレゴリー・ベイトソンの著作「Steps to an Ecology of Mind (精神の生態学)」が含まれていることでも分かるように、かなりベイトソンを意識したエッセーであることが分かります。

それで、認知科学者のフランシスコ・ヴァレラがその著書「Embodied Mind(身体化された心)」で中観派の仏教と認知科学との融合を目指したのと比べると、そこまで大それた企てではないのですが、このエッセーで面白いのは、ベイトソンが仏教の概念、あるいは仏教徒の認識論を観察してそれをベイトソンのコトバや概念で説明したらいったいどうなるのか?について書かれているところが面白いところなのでしょう。

後は、仏教の世界では唯識などで語られている無意識のところは一応 UCバークレーあたりで教えられている Cognitive Unconscious で説明されている感じになっているのが興味深いところですかねぇ・・・・

やっぱりこういう世界は面白いなぁ・・・・・

(つづく)

文献
[1] http://www.gampoabbey.org/documents/Buddhist-Steps.pdf

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