2013年10月5日土曜日

式年遷宮とシステムの視点



 式年遷宮際というのはディープ・エコロジーで持続可能な社会を実現するシステム思考の視点へ転換させるシステムではないかとも思ってくるわけです・・・・・・

 独り言


One for All , All for One

10月2日、伊勢神宮では式年遷宮の遷御の儀が無事執り行われました。

それで、神社というのはシステム思考の視点を促すという意味では非常によく出来た仕組みではないか?と個人的には考えているわけです。

 以下のリンクで書いたように、


システム思考というのは「部分から全体へ」観察者の視点を移行する必要があります。つまり、木を見るだけではなく、森を見る視点を身につける必要があることになるわけです。

それで、神道は万物に神が宿ると考えるわけですし、式年遷宮のような行事に参加する、あるいはそれを観察することは、「自分はどのようなシステムの一部なのか?」のように大きな全体を考え、そして、それにつながり「大きな全体の一部としての自己」、「自己あっての大きな全体」の相互の視点を自分の身体をもって経験する機会になるわけです。

もちろんこれは、人類学者のグレゴリー・ベイトソンや量子物理学者のフリッチョフ・カプラの唱えているディープ・エコロジーの思想に他ならないということにもなってくるわけです。

 また、従来の科学的な思考では、「観るものと観られるもの」は完全に別れており、身体も感情も持たない観察者が起こっている現象を見ているだけ、ということになります。しかし、反対に式年遷宮に参加した当事者の視点は、身体も感情ももった人間が、自分も含めた(ソーラー・システムの化身である天照大御神を頂点とした)八百万の神や自然の集合体である全体につながり、そして自分もその全体の一部である、という感覚を持つ視点であることが分かってきます。
 つまり、最新のエコロジカルなシステム思考の視点と式年遷宮の参加した参加者の取る視点というのは恐ろしいほど一致しているということになるわけです。

 そう考えると1300年以上続く、式年遷宮というのは参加者の視点を転換し、多くの課題や困難をディープ・エコロジーの視点から適切に解決し持続可能な社会を実現してきたシステムの視点になるためのシステムではないか、とも思ってくるわけです。

(つづく)

文献
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