2013年11月11日月曜日

ミルトン・エリクソンをシステム論的に紐解く



 心理療法家のミルトン・エリクソンは自分の心理療法の技法を形式知として残していないという非常に不思議な人でもあります。つまり、クライアントとの膨大なセッションの記録や録音テープは残っていますが、その理論やフレームワークといったことは一切残していなければ、本人の口から説明もされていないという具合です。

したがって、エリクソンの研究者は色々な学問的なフレームワークを当ててエリクソンの暗黙知を形式知化しようと試みている構図がここに成り立つということになります。エリクソンは既に亡くなっていますが、この学問的フレームワークはどんどん新しくなるために、エリクソンの暗黙知はいつも最新のフレームワークで形式知化してもらえるという構図もここにあるわけです。

もちろん、人によって心理学(例えば、フロイド、ユング、アドラー、マズローだとか)、言語学(例えば、生成文法だとか認知言語学だとか)のフレームワークを当てて形式知化を試みていることになるわけですが、個人的には、心理学のフレームワークを当ててエリクソンを観察するのは、(こころをコンテンツとして語っているので)案外センスが悪いなぁと思っているところです。

それで、(行動主義的な)事実としてエリクソンが何をしたのか? システムとしてのクライアントとシステムとしてのセラピストがどのように相互作用して、クライアントがどのように変化したのか? を観察するにはやはり第二次サイバネティクスとかオートポイエシスで説明するのが一番センスがよいなと思っているところでもあったわけです。

ひとり言


ミルトン・エリクソンの心理療法を第二次サイバネティクスの枠組みから説明する

今日は、「Systemic Hypnotherapy: Deconstructing Entrenched Ambivalent
Meanings In Self-Organizing Systems」[1]というタイトルのエッセーをご紹介しておきましょう。

システミックなアプローチがエリクソニアン・アプローチと等価と思われ始めたのは人類学者のベイトソンたちの研究のためだと思われますが、実はエリクソン自身はシステミックであるべきだとも、システミックではないとも言っていないという構図がここにあるわけです。

それで、このエッセーではクライアントの問題の行動は、ダブル・バインドのような二律背反する自立性の維持から来ていて、それは言語に反映していると考えているわけですが、ここでは第二次サイバネティクスのフレームワークを当てて、自己組織化と自立性の観点からクライアントが現在の意味を解体し、新しい意味を構築するプロセスを説明していることになっているわけです。


(つづく)

文献

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