2014年1月14日火曜日

ミルトン・エリクソンの系譜:癒やしのメタファーのつくり方(その13)



   事実と解釈(意見)、推論、断定・・・というのは案外区別が曖昧なものですねぇ。

また、相手がいる場合はそれがもっとややこしくなる・・・(笑)。

 で、それを区別してみるということですねぇ。

ひとり言


癒やしのメタファーのつくり方(その13)
 
さて、昨日の続きを書いておきましょう。


 一般意味論の創始者であるアルフレッドコージブスキーが「地図はそれが示す領土と同じではない」あるいは「コトバはそれが示すモノと同じではない」といったように、人が物事を知覚し認識する過程において、コトバと実体としてのモノの区別をつけていくことは、コージブスキーの言う正気を保つ上で非常に重要なことだということは以下のリンクでも書いたとおりです。


 つまり、人は自分自身や相手とおしゃべりしていることで、コトバをモノと思い込み、事実を意見と思い込むといった性質に翻弄されることにもなるわけです。


それで、ベティ・アリス・エリクソン女史の資料を読んでみましょう。[1]

簡単にいうと、ここでの要点は、事実、相手の意見、自分の意見を区別するように話しましょうということになります。
(翻訳は適当)

Differentiation between the hypnotist and the subject.

ヒプノシストと実体を区別する

 I want you to . and I can want whatever I wantI can even want to win
the lottery, or I can want you to learn so much as I know you will
 私はあなたにやってもらいたいことが・・・そしてわたしはわたしが望むことはなんで望むことができ・・・・わたしは、宝くじにあたることさえ望むことができ、もしくは、あなたがそうしようとわかっているときに私はあなたに学んで欲しいと望むことができます。



 もちろん、相手の意見と自分の意見が違う、あるいは相手の世界観と自分の世界観が違う場合はどうすればよいのか? 違いは違いとしてみとめて違うことはよいことですねぇと認めてしまうことだ・・・というのは以下のリンクで書いたところです。


 要は、外交プロトコルの「お互い合意に至らなかったという認識で合意した」みたいなやつですねぇ。(笑)

(つづく)

文献
[1] http://www.ericksoncongress.com/IC11/handouts/FH08-AnecdotesAndMetaphors.pdf

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