2014年1月28日火曜日

禅と一般意味論とサイバネティクス



 「経験そのもの」と「経験をコトバで記述したもの」との間にはやはり大きな断絶があるように思うわけです。つまり、「経験したこと」≠「経験したことの説明」ということでもあるわけです。ただ、本などの媒体でこの経験を伝えようと考えて、これを文学的な表現や比喩ではなくて、もっと科学的な漢字で記述しようと思うと結構難しいことになってくるわけですねぇ。

 それで、アラン・ワッツが考えたのは、禅という経験を説明するために、「一般意味論」や「サイバネティクス」を使ってみるというやり方なわけです。もちろん、これでも「経験したこと」≠「経験したことの説明」という構図は超えられないので、結局、禅は身体で経験するもの、ということなのですが、説明としては何となくセンスの良い説明方法ではあるわけですねぇ・・・・・・・・・グレゴリー・ベイトソンがミルトン・エリクソンの心理療法をサイバネティクスと一般意味論で記述したように・・・・・



主観的経験をどのように記述するのか?

 Wikipedia Alan Watts の項目に非常に面白い記述があったので少し書いておきましょう。[1]
 
 はじめに、「自然科学」といったものについて考えてみましょう。この場合、実際に起こっている現象を観察したり計測するために、純粋に第三者の視点を立てて、その現象を定量的に観察するような場合です。この場合は、「観察されるもの」と「観察するもの」とを明確に分けることができますし、図る値としては、何 cm だとか何 Kg だとかという具合になるわけで、誰が観察してもある程度同じような値が出てきますし、再現性もあるという具合です。

 それで、次に「主観的な経験」を取り扱う場合のことを考えてみましょう。例えば、心理療法とかコーチングとか、はたまた禅のようなもの。

 そもそも論としてこういった主観的経験が(自然科学か社会科学かの議論はとりあえずおいておくとして)科学として成り立つのか?という議論が出てくるように思ってきます。

 もちろん、日本人であればお得意の「まずは、騙されたと思ってやってみれば分かる・・・」というモードがあるわけですが、どうも欧米人にはこのロジックはないようで、ひたすらまじめに考えることになるわけです。

 それで、以下でも書いたように主観的な経験を記述するのは、観察される対象が観察するものでもあるような第二次サイバネティクスのような枠組みを考えるわけですが、


 個人的には、一般的な二元論の枠組みで説明することのできない禅を記述するためになぜ、一般意味論とサイバネティクスを使ったのか?ということも手に取るように分かってくるわけです。

 それで、Wikipedia の項目を読むと・・・・



In 1957 when 42, Watts published one of his best known books, The Way of Zen, which focused on philosophical explication and history. Besides drawing on the lifestyle and philosophical background of Zen, in India and China, Watts introduced ideas drawn from general semantics (directly from the writings of Alfred Korzybski and also from Norbert Wiener's early work on cybernetics, which had recently been published). Watts offered analogies from cybernetic principles possibly applicable to the Zen life. The book sold well, eventually becoming a modern classic, and helped widen his lecture circuit.


1957年、42歳の時、ワッツは最も知られており禅の哲学的探求と歴史に焦点を当てた「The Way of Zen (禅への道)」を出版した。中国とインドにおける禅のライフスタイルと哲学的背景の描写は保留し、ワッツは一般意味論の視点(アルフレッド・コージブスキーの著作およびノーバート・ウィーナーのサイバネティクスの原稿より直接引用、現在は両方とも著作になっている)。ワッツは 禅の生活に適用可能なサイバネティクスのアナロジーを提供している。ワッツの著作はよく売れ、次第に現代のクラシックになった、そして、彼の講義の回路を広げることを助けた。



 となっています。もちろん、個人的には禅を一般意味論とサイバネティクスで説明したらどうなるのだろう?と閃いた瞬間があったわけですが、自分に思いつくくらいのアイディアは既に誰かが思いついているだろうなと思って、ネットで調べてみると、既に50年以上前にアラン・ワッツが考えていたというわけです。

それで、Youtube にアップロードされていたアラン・ワッツのオーディオブックを・・・・・


 

文献



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