2014年1月8日水曜日

ミルトン・エリクソンの系譜:癒やしのメタファーのつくり方(その7)



  コトバはよく聞くと虹のように色々な色を含んでいるように思ってきます。もちろん、虹は光がプリズムを通るといった特殊な条件を満たさないと見えないのと同じように、コトバに含まれる虹もなんらかのフレームワークで分解しないと直接は見えないのでしょうけれども・・・

ひとり言


癒やしのメタファーのつくり方(その7)


 昨日の続きを書いておきましょう。


 人の知覚や認知の仕組みを考えると、人は、情報を知覚し表象して最後に、この一部が意識に登るようになっているようです。それで、コトバを聞いた時もこれと同じように、コトバを聞き、無意識に表象され、さらに多くのことが処理された後にその一部だけが意識に登るように情報が処理されていることになるわけです。

それで、心理療法家のミルトン・エリクソンの言語パターンを研究すると、意識に登る前に無意識で処理されるコトバがクライアントの知覚や認識に何らかの影響を及ぼしているわけであり、意識される前にある意識されないコトバが無意識に処理されている不思議さというものを思い知らされることになるわけです。

それで、今日は、こういったことを前提として、ベティ・アリス・エリクソン女史の資料を読んでみることにしましょう。[1]


Language is always layered.
Consciously we hear only surface meanings and levels
We hear all levels--we know that we know without knowing how we know  
We respond without knowing all the layers of our responses

People respond from internal experiences and definitions
 We dont know another persons internal reality

コトバはいつも「階層化」されている。
・意識的に聴いているのは表層の意味やレベルだけである。
・私たちは全てのレベルを聴いている―どのようなプロセスで知るのかを知ること無しに知るということを知っている。
・私たちはすべての階層の反応を(意識的に)知ることなく反応している。
  人は外的出来事を内的経験や自分の定義に照らして反応している。
  私たちは、他人の内的な現実を知りようがない。


 このあたりは暗黙知を暗黙知として既に学んでしまっているのか?あるいは暗黙知の一部をあえて意識的に形式知化して学ぶのか?の違いのようにも思えているわけですが、何れにせよここに(形式知としてのコトバと行間にメタ・メッセージを含む暗黙知としての)コトバという不思議なものが入ってくることになるわけです。
 
(つづく)

文献
[1] http://www.ericksoncongress.com/IC11/handouts/FH08-AnecdotesAndMetaphors.pdf

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