2014年2月2日日曜日

ベイトソンとマトゥラーナを理解する



 西海岸系の家族療法はベイトソンの認識論的システム論をベースにしているわけですが、最近の家族療法はオートポイエーシス論になっているように思います。では、ベイトソンの認識論的なシステム論とマトゥラーナの存在論としてのオートポイエーシス論がどのようにつながっているのかを考えるのは興味が尽きないところです。

 で、このあたりは、深入りするとライフワークになりそうで怖いわけですが・・・・・(笑)。



ベイトソンとマトゥラーナを理解する


 さて、1985年の少し古い論文なのですが、臨床心理家、家族療法家のポール・デルが書いた論文「UNDERSTANDING BATESON AND MATURANA:TOWARD A BIOLOGICAL FOUNDATION FOR THE SOCIAL SCIENCES[1]を読んでみたわけです。

 で、この論文が人類学者のグレゴリー・ベイトソンとチリ出身の生物学者ウンベルト・マトゥラーナをつなぐロゼッタスターンの役割を果たすことを志向している・・・と書かれているように、ベイトソン的な認識論とマトゥラーナの存在論は一体どのような関係なのかを解明したのがこの論文の面白いとこでもあるわけです。

 で、要旨は、

(1)マトゥラーナの構造的決定論(注:オートポイエーシス論的にはシステムの次の状態を限定しても決定されることはない。オートポイエーシスを維持できる範囲で如何様にも変化できる可能性がある。マトゥラーナは用語について混乱をきたしているところがある)は、認識論(Epistemology)を暗に含む明示的な存在論(Ontology)の主張である。ここはベイトソンが認識論として明示的に描写したところであるが、対応する存在論としては開発されてこなかったところである。

(2)構造的決定論はベイトソンの「マインド(精神)」(例、サイバネティクス的認識論)の概念のより汎化された概念である。

(3)構造的決定論はベイトソンの理論(例、差異をつくる差異)の客観性の残党を打ち消す。

(4)マトゥラーナの教訓的相互作用はベイトソンが「認識論的エラー」という用語を使った時に意味したことのより一般的で非システム論的な概念である。

 というようにベイトソンの認識論をマトゥラーナの存在論に翻訳するような形式で話が進んでいきます。

 もちろん、ここでの注意点は、マトゥラーナの構造的決定論というところでもあるわけですが、別のオートポイエーシスは、オートポイエーシスが維持される限りは将来のシステム構造が決定されるわけではなく、マトゥラーナが読者を混乱させているところがあるのでこのあたりを考慮して読む、というのが重要なことではないかと思っているわけです。

文献

[1]http://www.researchgate.net/publication/229858890_UNDERSTANDING_BATESON_AND_MATURANA_TOWARD_A_BIOLOGICAL_FOUNDATION_FOR_THE_SOCIAL_SCIENCES*/file/e0b4951dfe74f51e00.pdf

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