2014年5月16日金曜日

アルフレッド・コージブスキー抽象化を語る



 コージブスキーって科学的な比喩を使って西田幾多郎と同じようなことを言っているのですよねぇ。一般意味論のオブジェクト・レベルって純粋経験ともとれますからねぇ。(笑)
 


アルフレッド・コージブスキー抽象化を語る

 Youtubeに一般意味論の創始者であるアルフレッド・コージブスキーが抽象化について語った映像がアップロードされていますが、案外、これが含蓄があって深いです。



 朝、目を覚ますと「世界」が確かに存在していることに気づきます。もちろん、生まれた時から、あるいは物心ついたときから「世界」は確かにそこに存在しています。五感で知覚された現実感を伴った「世界」が立ち上がっていることそのものが現実なのでしょう。

 私たちは、「世界」をどのように捉えているのか?

 目を開き、耳を傾け、何かに触れる。そして何かに注意を向け、そこに現れた何かに名前をつける。あるいは、それはいつものとはちょっと違う、と認識する。このようなプロセスが意識下で自動的に働くことで、私たちは世界にある何かを意識することができます。

 見えているもの、聞こえている音、触れているもの、といった五感の対象として存在するオブジェクトを知覚し、それに名前を付けることでこのオブジェクトを意識に上げ、認識することができます。もちろん、この過程で情報の『抽象化』が起こっています。

 『抽象化』とは、神経の中に取り込まれた情報が抽象的に括りあげられていくプロセスのことです。

 外の世界にある情報が五感のチャネルを入り口として神経系に取り込み表象されます。この表象の中のいくつかのオブジェクトに注意を向け、コトバのラベルが付与され、意識されます。このように、五感の質感をともなった世界がいつの間にかコトバや記号といった情報に変換され、認識の枠組みがつくられるプロセスが『抽象化』と呼ばれるプロセスです。場合によっては、五感によって認識された現実、よりもこの抽象化された情報にだけ意識を向けているような状況が起こります。

 コージブスキーはこのように私たちの神経の中で情報が『抽象化』されていくプロセスを風車が回って、元の風車の羽の形が推測できないようになった状態の比喩で説明しています。

 極論すれば、私たちが自分の神経で見たり、聞いたり、感じたりしている「世界」は幻想なのか?と問ます。

 コージブスキーは抽象化が起こっても、これらの「世界」は幻想ではないと主張しているわけであり、知覚された現実が抽象化の過程を経て齟齬を起こしている非正気の状態になることを防ぐために、この「抽象化」のプロセスを意識してみることが重要であると説いているわけです。

 もちろん、個人的には一般意味論原理主義者ではないですが、こういった考え方がREBTからはたまたマインドマップ、アレクサンダー・テクニーク・・・など色々な分野に取り入れられているところを見ると、一般意味論の、ものの見方というのは面白いものだなぁと再認識しているところだったわけです。

文献

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