2014年6月9日月曜日

マインドマップと一般意味論(その4)



マインドマップは、事実-解釈「一般意味論の『意味反応』」を書くというお話。
 
 読書の内容をマインドマップに書いている人がいたりするけれど、

 ・その本の内容、を書くことは大前提にあるとして、

 ・その本の内容に、自分がどのように反応しているのか?というのがもっと重要ではないか?と思ってくるわけです。

 ・もちろん、反応している自分を冷静に見ているメタの視点を意識してみる、言語化する、というのは自分の「意味反応」を知り、望む「意味反応」に変えるためには、もっと重要なのでしょうけれども・・・・(笑)。
  
 

何を対象に書くのか?

 カリフォルニア大学サンディエゴ校のサーバに乗っかっているスーザン・コーディッシュ女史によって書かれた「Using General Semantics[1]を読むと15にまとめられた一般意味論の概念が非常に良く理解できます。

 余談ですが、コーディッシュ女史は、個人的にも非常に好みの一般意味論の愛読書「Drive Yourself Sane [2]の著者のお一人でもあります。ちなみに、この本は英語ですが、一般意味論の入門書としては初心者にももっとも分かりやすいベストな一冊と断言しても差し支えないでしょう。

 それで、マインドマップの開発者であるトニー・ブザン氏がアルフレッド・コージブスキーの創始した一般意味論に影響を受けてマインドマップを開発したくだりは英語版の Wikipeidaに記載されていますが、ここでは、リバース・エンジニアリングでマインドマップの秘密に迫ろうという試みでもあります。

 コージブスキー女史のドキュメントに戻りましょう。

 ここでの問は「マインドマップは何を対象に書くのか?」あるいは「書く対象をどのように選ぶのか?」ということです。

 もちろん、そもそもこのような問を聞くと、「興味があることにきまっているじゃないか!」とか「やらなきゃいけないレポートがあるからしかたなく書いているのだ!」とか「いま抱えている問題を解決するために、問題の構造を書く!」のような答えが返ってくるでしょう。

意味反応の起る対象をマインドマップに書く

 もちろん、一般意味論として考えると自分を認識主体として周りの環境とか出来事に反応しているわけですが、この「意味反応」を手がかりにして対象を決める、ということになるわけです。

 一般意味論は表象主義をとっています。このため、人が外的な出来事に直接反応しているとは考えません。その代わりに、人は、外的な出来事を神経から取り込み、抽象化の過程を経て、内的に構成される意味に反応している、と考えるわけです。もちろん、色々な感覚(知覚)があったり、思考が沸き起こってきたり、気持ちが現れたり、身体的な反応の総体すべてから意味がつくられ、人はこの意味に反応している、と考えているわけです。

 もちろん、何か興味のある本があってそれを手にとってみた、ということもある意味「意味反応」ということになるでしょう。でもその時「興味」とい名詞でラベリングされた意味はどのような感覚、思考、身体反応などで出来ているのか?これを探ってみる、というのが一般意味論の試みでもあるわけです。

 もちろん「興味」というのであれば、一般的には日常生活で不都合は起きないでしょう。

 逆に「恐怖」という名詞でラベリングされた経験ならばどうでしょうか?

 そのコンテクストで起こる、「恐怖」という意味から起る、知覚、思考、身体反応、振る舞い、など日常生活では不都合な場合があるかもしれません。例えば、高所に対する恐怖、犬に対する恐怖、・・・など。

 もちろんこれらはほとんど自分が意識していない無意識から立ち上がってくることが難しいと考えられているわけであり、根性や気合、あるいはロジカル・シンキング、クリティカル・シンキングでは直ぐにはなんとも出来そうにはありません。

 そこで、この「意味意味」を変えるための試みが、コーディッシュ女史のドキュメントの1. Evaluational (Semantic) Reactions ということになるわけです。

 で、マインドマップには何を書くのか?ということになってきます。

もちろん、セントラルイメージに意味反応の対象となる出来事なり対象を書く、そしてブランチにそれからの連想、あるいは、そこから起る感じ方、考え方、振る舞いを書いていくということになるわけです。もちろん、一旦は五感の現実感をありありと高めて想像するけれど、最終的にブランチに載せるのは感覚が抽象化された単語ということになるのでしょうけれども。

 それで、現実感を高めていくためにはどうするのか?

 コーディッシュ女史のドキュメントに以下のような質問があります。

・身の回りで起こっていることをどのように知覚、認識しているのか?

「私が(意味)反応している時、身の回りで起こっていること、進行していることは何か?」
「私は何を見たり、聞いたり、感じたりしていたか?」
「私は何を考えていたか?」
「私は何を感じてたか?」
「私は何をしていたか?」
「私はどのように動いていたか?」


・反応に「遅延」をつくる
「どのようにどの反応に遅延をつくるか?」
「遅延をつくったら何が起るか?」

・反応の選択肢を増やす
「どのようにその反応を選んでいるのか?」
「他の選択肢をとることはできるか?」
「何を?」
「どのように?」


 それで、これって、自分の反応、例えば「恐怖」というのを、一旦知覚のプロセスに戻してメタ認知する、あるいは言語化して意識化するようなことをやっているわけですが、「恐怖」以外の反応があることが分かって、それ以外の反応が取れるようになるためには、こういう練習って案外重要なのではなかろうか?と思っているわけです。

 もちろん、一般意味論のそもそも論からすると、「地図はそれが示す土地と同じではない」「コトバは、それが示すモノと同じではない」のように少なくとも、地図と土地は違うというのを意識してみることで正気が保てるというところなのでしょうけれども、やはり、知覚のプロセスに戻して、メタ認知する、あるいは言語化する・・・補助線としてマインドマップは結構有効に機能するのだろうなぁ・・・と思っているところだったわけです。

 余談ですが、マインドマップは「見える化」とかいう薄っぺらい概念ではなくて、1)知覚に戻してプロセス化し、2)言語化して意識することでメタ認知を鍛える、3)普段無意識にやっている「意味反応」を変えるツールということなのでしょう。

(つづく) 
文献

[3]http://en.wikipedia.org/wiki/Mind_map

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想、執筆、講演のご依頼はこちらまで tritune'`@''gmail.com

 https://www.facebook.com/okirakusoken







0 件のコメント:

コメントを投稿