2015年11月29日日曜日

ミルトン・エリクソンから派生した心理療法を図にしてみた(その3)

                        


 エリクソニアンとは何か?。

 催眠が使える・・・・

というのは実は、まったくもって、どうでも良い話。
 
 エリクソニアンとは、<意識>と<無意識>の間に絶妙な関係性をもたらし、個人・組織の生成発展を支援する人たちということになるだろう。

<ひとりごと>




流派がまとまる構図

 一般論だ。方法論や製品を普及する時、メンバーが仲間割れをはじめるということがよく起こる。

 まるで、金魚たちが、金魚鉢という小さい世界の中で、「お前らは黒金魚だ!」「お前らは赤金魚だ!」と近親憎悪的にいつも喧嘩が耐えない状態だ。もちろん、本来の目的など忘れ去られている。

 人類学者のグレゴリー・ベイトソンは、こういった<関係>をコンプリメンタリー、シンメトリーなパターンとして取り出した。[1]

 シンメトリーな関係で、サイバネティクス的なポジティブ・フィードバックが行き過ぎると、その組織は分裂する(分裂生成)とした。さっきの金魚たちのことだ。 

  もちろん、反対にすればうまくいくというものでもない。コンプリメンタリーな関係が行き過ぎればお互いが疎遠になって<関係>が自然消滅するようなことも起こる。簡単に言えば「関係ない」という関係になることだ。違い過ぎて何の共通点も見いだせない。

 いずれにせよ、組織は分裂する。それも、あまり建設的ではない方向に。

 経験から、組織の立上げ、運営においてこういったことを理解し、サイバネティクス的な介入方法をいくつか持っておかないと結構悲惨なことになる。これは、元スローンのエドガー・シャインがやっている<組織開発><組織マネージメント>へのエリクソニアン・アプローチの応用の話だ。

 
 さて、分裂とは反対に、ある程度仲間内でまとまって、うまくやっているグループなり団体がある。

 お互いが、つかず離れず絶妙なバランスの中で運営されている心理療法家のミルトン・エリクソンの一派がそれに当たるだろう。誤解を恐れずに言えば、ベイトソンはつかず離れずの関係をレシプロカルと定義した。コンプリメンタリーとシンメトリーが絶妙にブレンドされた状態だ。この状態がシステムがポジティブ・フィードバックで行き過ぎることを防いでいる。東洋には、「中庸」ということばがあるが、まさに動的平衡な状態だ。

 もちろん、さらに細かい個々の流派の中では、分裂を繰り返して暗闘の絶えないNLP(神経言語プログラミング)のようなところもあるが、この集団を家族療法のIPと見立てれば、また違ったものも見えてくるだろう(笑)。ブリーフ・セラピーの盲腸みたいなものでも仲間は仲間だ。どこの家庭にも親類に1人や2人、変な人が居るように。

  

エリクソンの流派は意識と無意識の絶妙な共存という構図


 来月12月に米国アリゾナ州フェニックスで開催予定の「ミルトン・エリクソン派国際会議」のために公開されていたシラバスからの抜粋をじっくり眺めてみる。[2]

 

 心理療法家のミルトン・エリクソンを継承する流派、いわゆる<エリクソニアン>を敢えて2分すれば、<催眠を使う>流派と<催眠を使わない>流派に分けられる。前者の代表がネオ・エリクソニアンであり、後者の代表がMRIやSFAである。

  しかし、人や組織の認識・行動の変化という目的においては、<催眠を使う><催眠を使わない>というのは瑣末なスタイルの違いでしかない。

  理由は、必要にして十分な条件が整えば、催眠があろうがなかろうが、人や組織の認識・行動は自然に変化するのだから。しかも現状の枠組みを飛び越える、第二次変化(Second-Order Change)として。ただし、セラピストの役割は、変化の条件を整えるお手伝いをすることだけである。

http://ori-japan.blogspot.jp/2012/01/blog-post_23.html

 では、人や組織の認識・行動が変化するための理論である<Theory of Mind><Theory of Change>を理解していて使える人が<エリクソニアン>なのか?

 それは必要条件ではあるが十分条件ではないだろう。どちらかと言えば、人類学者のグレゴリー・ベイトソンを継承する<ベイトソニアン>の範疇だ。具体的には、スタンフォード・メディカル・スクールで教えていた、ウオツラウィックとかあのあたりの人。

 では、<エリクソニアン>とは何か?。

 ひとつは、エリクソン自身が用いた言語パターンがヒントになる、かもしれない。具体的には、<意識ー無意識のダブル・バインド>のパターンだ。

 単純化すると、まず、意識-無意識という2つの立場を設定する。

 あなたの<意識>は<具体的な未来のゴール>をどのように達成したらよいかわからない、が、あなたの<無意識>は今ココで、何をすればよいのか<具体的なやり方>はわかっている、で、それをやって、というパターンだ。
 
 これをメタファーで表現すれば、

 エリクソンという難攻不落の山の山頂を<意識>して目指して、エリクソンに成り行く(becoming)プロセスを共有している人たち。但し、どの道から登っているのか?どのような手段を使うのか?は都度<無意識>が決めることでそれは問われない、を共有し、実践している人たち。

 と考えるのが一番しっくりくる。理由は、これ自体が、エリクソニアンに成り行くプロセスを表しているからだ。

 昔、ブルース・リーが脚本を書いた映画に「Silent Flute」というのがあった。ネタバレになるが、最強の男たちを倒して最後の五重塔の頂上で手にした最強になるための秘伝のお宝は単なる「鏡」だった。主人公は、その中で自分の顔を見るというのがオチだ。では、エリクソニアン・アプローチを極めるとどうなるのか? おそらく残るのは、身体に暗黙知として形成されたエリクソニアンに成り行くプロセスだけだ。ただ、MRIの秘密の巻物はある。

 また、関係性という意味では、<無意識>としてのネオ・エリクソニアンと<意識>としてのMRIがコンプリメンタリーな関係で、それを取り巻く諸派がつかず離れずのなんとも言えないレシプロカルなエコシステムを作り出している構図に思えてくる。少し余計なことを言っておくと、エリクソン・インスティテュートやNLPの一件もシステム全体で言えば、ちゃんと<雨降って地固まる>的な要因として機能しているということだ(笑)。つまり、コンプリメンタリーな料理に香辛料的なシンメトリーな関係を振りかけているような構図だ。

 その意味では、エリクソン一派の組織の核は、やはり<無意識>としてのネオ・エリクソニアン、そして<意識>としてのMRIとなり、この絶妙な二重記述の関係性が組織の発展を築いていると言っても良いだろう。

 また、同様に、バランスの取れた家族や会社組織の構図、あるいは人の<無意識><意識>の縮図のようにも思えてくる。もちろん、会社が発展するには<無意識>としての文化と<意識>としての社則のバランスを考える必要がある。国家であれば、<無意識>としての國體(国体)と<意識>としての憲法(憲法典)ということになるだろう。

 その意味では、この図は、生成発展のメタファーとしても読めてとても興味深い。

(つづく)

 文献
http://ori-japan.blogspot.jp/2013/05/blog-post_27.html  (参考)

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