2015年12月1日火曜日

仕事で使えるミルトン・エリクソン(その2)

                           

 現実主義者であれ!

 でも、現実主義者って何?


 うむ〜

 水の見える魚になることかなぁ?(笑)

 <ひとりごと>





現実主義者であれ!

   心理療法家のミルトン・エリクソン。伝説が一人歩きして超能力者だったように語られることがある。この能力が非常識な結果を生み出した、と。

  これが本当ならば、我々のような凡人は一歩もエリクソンには近づけないことになる。理由はわけのわからない超能力の存在の有無もさることながら、超能力をどのように身に付ければよいのか?その方法すら皆目見当がつかないからだ。
  
 しかし、学術論文にあたると、まったくもってそういう<事実>はないことが分かる。もっと言うと、エリクソンがやっていたことは誰でもできるプロセスで説明されている。違いは、どこにでもある技法を、少し違う趣向、あるいはコンテクスト(文脈)で使っていたことぐらいだ。ただし、観察による状況把握と技法の精度とタイミングがとんでもなく精緻だ。それでも、エリクソンの技法は誰でも実践できることの積み重ねからできている。[0]

 その気になれば、ミルトン・エリクソンの使っていた方法は凡人にも使えるということだ。もちろん、非常識な結果を生み出すには、練習は必要だろう。観察力を鍛えて、適切なタイミンで活用するする必要はあるだろう。しかし、一歩一歩のほふく前進になるが、それでもエリクソンには近づけるし、うまくなるにしたがって、それなりの結果は出るようになるはずだ。

 ミルトン・エリクソンが使っていたプロセスを学べば、それなりに結果が出る。これがここでのテーマである。

 で、今日のお題は以下、[1]
 

 現実主義者であれ!

 悲観主義者でも、楽観主義者でもなく。

 
 もちろん、これは技法ではなく、教訓だ。一歩間違うと精神論になる。精神論は役に立たない。現実からのフィードバックを想定しておらず、役に立たないから精神論なのだ。しかし、現実主義者であれという精神論めいたコトバを、ハングリーかつバカ正直に、実践、試行錯誤する行為からなら学ぶことは多い、現実からのフィードバックがあるからだ。[2]

コップ半分の水は、現実の半分でしかない
 
 たとえ話がある。例のアレ。


コップに半分の水が入っている。

悲観主義者は、「半分しか水が入ってない」とこれを悲しみ、
楽観主義者は、「半分も水が入っている」とこれを喜ぶ。


 
 嫌な顔をせず、少し付き合ってほしい。


 では、現実主義者はどうだろう?


コップに半分の水が入っている。

現実主義者は、「半分水が入っている」と事実を冷静に受け止める。

 

いやいや・・・これでは何か足りない。感覚的に何かが、圧倒的に足りない。

足りない部分を補ってみる。もちろん、感覚的に。

おそらくこういう記述になる。


現実主義者は、(自分の五感で)で、コップを観察し

  「半分の空間を水が占めている」 また、
  「半分の空間を空気が占めている」

と認識し、(多少バイアスのかかった)事実を冷静に受け止める。
そして、状況を含め、(目的を示して)両方をどう活用するのか考える。


 
多少は、しっくりくる。

もちろん、これは<たとえ話>だ。が、敢えて、ごちゃごちゃ書いた。

 真の要点は、水の反対側にある空気が見えているか?空気と水の関係性に気づいているか?文脈がわかっているか?ということだ。ひいては、これを観察する視点が取れるか?ということだ。

 魚は自分が水の中に居ることがわからない。逆に、自分が水の中に居る、と認識できる魚が現実主義者ということになる。

現実に翻訳するとこうなるだろう。

<コップ半分の空間の水>=物理的に見えている実態
<コップ半分の空間の空気>=論理的な、隠れた前提、暗黙のルール
<状況>=その時の状況、文脈、物理的・論理的環境
<両方を>=関係性
その他、もろもろ

 だから、現実主義者は、隠れた前提、暗黙のルール、あるいは文脈、関係性などが見えなければ、真の現実主義者とは言えないということになる。これがまず話の前提になる。


現実の認識は案外むずかしいが・・・

 人は、隠れた前提や暗黙のルールをおいて現実を見ている。そうでないのは、覚った坊さんくらいだ。

 しかも、人は、空気のような、隠れた前提に気がついていない。水に気づいていない魚だ。隠れた前提は、先入観とも言う。難しく言えば、ヒューリスティクスやバイアス。[3]

 時には、物理的に見えている実態にすら気付かないこともある。白鳥は白だけだと思い込んでいる。「白鳥を探す」と目的が明示されると、黒い鳥を見ても、それがブラックスワンだ、ということに気がつかない。黒い鳥ははなから無視される。余談だが、しょぼい目標設定にも要注意だ。

 さらに悪いことがある。人から指摘されたくらいでは、認識・行動を変えることが難しいことだ。意識的な指摘は変化への抵抗を生む。[4] ブラックスワンを突き出されても、白鳥とは認められないと言い張る。それも頑なに。



 もう一度、今日のテーマをおさらいしておこう。

現実主義者であれ!

悲観主義者でも、楽観主義者でもなく。


 
 エリクソンはどのようにしてクライアントに働きかけたのか? 先入観を通さない現実に気づいてもらうために。

 代表は、「間接アプローチ」だ。[5] なんのことはない、比喩から、びっくりから、オヤジギャクのようなものまで、ありとあらゆる方法を用いた。これだけを見ていると単なるお笑いのネタ帳にしか見えてこない。

 もちろん、これは、先入観をすり抜けてクライアントが現実に気づくための支援だ。クライアントが強制されたと感じたらエリクソンの負け。しかし、エリクソンは一見ばかばかしいことを、ものすごく精密に使った、しかも絶妙のタイミングでロジカルに。さらに、一段上のメタの視点を持って箱の外から、文脈や関係性を見ていた、水を見ることのできる魚のように。

 クライアントへの共感は、まあまあ大事だろう。しかし、もっと大事なことがある。

 クライアントを支援する、コンサルタント、コーチ、セラピスト等は現実主義者でなければらないということだ。

 もう少し具体的に説明しよう。比喩だが。

 例えば、なんらかの目的がある。最初に目的があるか、途中で目的が創発的に明確になるのか?はここでは述べない。単なる目的としておく。もちろん、クライアントと合意した目的だ。

 先ほどの例でいくと「白鳥を探す!」というのがそれに当たるとしよう。

 しかし、白鳥をくまなく探せども白鳥は見つからない。普通はいい加減で諦めてしまう。しかも、その人は先入観で白鳥は白だと思い込んでいる。

 エリクソンは、「白鳥には黒いのもいる」あるいは「白鳥は必ずしも白ではない」へ認識を変える支援だけをした。しかも、クライアントの抵抗をすり抜けて。

 クライアントは、そのうちブラックスワンを見つける。そして、これが白鳥だと認識する。そして、これを目的のためにどのように使おうかと考え始める。クライアントはいままで見えていなかったものを手にする。それも、目的達成や変化のための協力な資源として。

 これができるのも、現実主義者だからこそだ。

 水に気がつく魚の目から、クライアントが水に気づく魚になるように支援する。もちろん、ゴールや結果(の方向性)はクライアントの合意を得たものでなければならないが・・・

 これがエリクソンの真髄のように思ってくる。

 ブラック・スワンは想定外の大惨事を引き起こすリスクのシンボルとして使われる。しかし、裏を返せば、想定外の創発的な大成功をもたらすシンボルでもある。その意味では普段見えていない<暗黙の前提><文脈><関係性>に気づく努力をする、つまり、現実主義者で居るというのは重要なことだ。

 ちなみに、今日の話は、マンションのゴミ集積所に捨ててあったナシム・ニコラス・タレブの「The Black Swan」英語版をたまたま見つけて拾い読みして思いついた。まさに、ブラックスワンの本自体がブラックスワンという微妙なパターンだ(笑)。もちろん、ブラックスワンは重大な惨事の事後に分かり、最初からわかっていたと勘違いされることが多いのだが。もっと言うと、企業のリスク・マネジメントは隠れた前提を探してマネジメントすることに他ならない。

 余談だが、隠れた前提は TOCの 3Clouds Method でも見つけられると思う。[5]ただし、対象は法人でその会社のルールがロジカルにつくられていることが条件だが。

(つづく)

 文献
[5]http://ori-japan.blogspot.jp/2013/03/blog-post_12.html
[6]http://www.amazon.co.jp/Theory-Constraints-Handbook-James-Cox/dp/0071665544

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