2015年12月27日日曜日

メタファーと共にあらんことを

                      

 Cybernetics and Human Knowing 誌のグレゴリー・ベイトソンの生誕100年記念号に寄稿された"Patterns that connect patterns that connect."。ベイトソンの提唱した諸々の概念がスターウォーズのパロディとして説明してあって面白い。ベイトソンはオビ=ワン、で著者は教えを乞うルーク・スカイウォーカー。使うのはフォースではなく、パターン。フォースと共に・・・ではなくパターンと共にあらんことをというわけだ。メタファーでパターンを説明しているのか?パターン自体がメタファーなのか? 大きなパターンを見て、パターンを使うにはメタファーは不可欠だ。


<ひとりごと>



メタファーが問題を解決に導く

   夏目漱石は『草枕』で
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。
と書いた。

 確かに、仕事や日常生活の場面を想像してもこういったことは多い。ロジカル・シンキングで相手を詰めれば抵抗は大きくなる。感情だけに従っても具体策は生まれない。かと言って、意地を通しても煙たいと思われるだけで何も始まらない。相手と自分のコミュニケーション、あるいは自分と自分とのコミュニケーションには多くの問題が潜んでいる。

 そもそも、解決することはできるのか?

 あるいは、現状を少しでもよい方向にすることはできないのか?

   という疑問は浮かぶ。

 結論から先に言ってしまうと、答えのひとつは、メタファー(暗喩)を使うことだ。人の精神とも言うべきマインドは、何かと何かに関係性を求める。その意味、人のマインドは、帰納でも演繹でもなくアブダクティブに動く。関係の無いものに関係性を求め、大喜利の謎かけのように、XとかけてYと解く、そのこころはZというロジックを無意識に続けている。誤解を恐れず言えば、「この世のすべてはメタファーである」として認識するアブダクティブな機構がいつも意識下で動いていることになる。

 相手と自分のコミュニケーション、あるいは自分と自分のコミュニケーションの間に存在しているのは<関係性>だ。言い換えれば、人類学者のグレゴリー・ベイトソンが言っていた「結ばれあうパターン(Patterns that connect.)」という動的関係性への認識に他ならない。認識を変えこの関係性を変えれば、色々なものが変わるということになる。この関係性に対する認識を変化させるために持ち込むのがメタファーということになる。[1]
 
 メタファー(暗喩)は、心理療法家のミルトン・エリクソンが使っていたことでも知られている。[2] [3] 。また、認知言語学の根幹でもある。[4] 効果的なメタファーは人の認識のやり方や枠組みに影響を与える。上で書いた自分と自分のコミュニケーションに新たな関係性を持ち込むことになる。意識と無意識のコミュニケーションの関係性を変化させると言い換えてもよいだろう。メッセージは意識に言葉取りに解釈される、が、メタ・メッセージは無意識にアブダクティブに解釈される。この間の不調和を解消するのがメタファーだ。もちろん、自分と相手の場合のコミュニケーションも同じだ。


メタファーのコミュニケーションは角を立てない

 歌舞伎や人形浄瑠璃の演目に『仮名手本忠臣蔵』というのがある。最近、両国の吉良邸跡から泉岳寺まで義士の帰路を散歩したので連想した。この散歩に特に意味はない。『忠臣蔵』は、18世紀のはじめの江戸時代に起こった『赤穂事件』を題材にしている。[5] 江戸時代に起こった事件を江戸時代に直接取り上げると御政道を批判していると取られかねない。そこで作者は舞台設定と登場人物を室町時代に置き換えて『仮名手本忠臣蔵』とした。今で言うと「この物語はフィクションであり、実在の団体、人物とは一切関係ありません」ということだ。

 作者は、吉良上野介義央を高武蔵守師直、浅野内匠頭を桃井若狭之助安近、大石内蔵助を大星由良助義金・・・・・、四十七士と明示せずに仮名手本でいろは47文字からそれを示唆した。観客は、誰もが『赤穂事件』のことだと解釈する。大星由良助に大石内蔵助を重ね、そして義士たちを現実にかせね思い描く。しかし、江戸幕府の役人に取り調べられても、これは室町時代を題材にとった架空の物語だと言い逃れができる。
 
 江戸幕府にも角を立てず、かつ、観客には臨場感がある『赤穂浪士』として楽しませることができる。これも、江戸時代の作家がメタファーの効用を理解していたからだ。逆にいうと、作者が幕府と観客の間で二律背反になっている状態をメタファーが解決した、ということだろう。日常生活や仕事の場面でも「あっちを立てれば、こっちが立たず」という場面は多い。こんな時、二律背反を両立させるメタファーを考えてみるというのもよいのだろう。余談だが、評論家の小室直樹氏は、『赤穂事件』は業務上横領だという論を展開したし、作家の井沢元彦氏は、浅野内匠頭は統合失調症で、心神喪失状態での犯行であり、仇討するのはそもそもおかしいという論を展開した。これはこれで別のメタファーとしてみれば興味深いようにも思える。もっとも、こちらは敢えて角を立てるメタファーになっているようだが(笑)。

 さて、実世界に起こっていることと同型のパターンをメタファーにマッピングすることをアイソモルフィズム(Isomorphism)と呼ぶ。[6]  心理療法家がクライアントにメタファーをつくる場合も、このアイソモルフィズムは重要なポイントとなる。要は、『仮名手本忠臣蔵』の登場人物や状況設定のマッピングの要領だ。示されたメタファーから聞き手は実在の人物や状況を思い浮かべる。これを慎重かつ緻密に行う。これがメタファーが臨場感を伴って機能する必要条件のひとつである。 


メタファーのコミュニケーションは情に流されない
     
 情に流されて決断したり、あるいは行動したりすると、だいたいはロクな結果にならない。直情的な情動として怒りが起こる。怒りに任せて反射的に行動する。結果、後で後悔する。大体こんなことになる。気持ちのやり場は解決できる。それも直ぐに。だが問題が解決することはない。

 情に反応しているとある意味楽だ。感情に反応しているだけでよいからだ。トートロジーのようでもある。が、情に反応しているだけでは問題の大きなパターンは見抜けない。視点が低いからだ。感情は認識の結果であり、問題を解決するレバレッジポイントにはなり得ない。可哀想と同情しているだけでは何も解決しないことを考えれば明らかだ。

    こういう時、二重の意味でのメタファーが必要だ。ひとつは気持ちをマインドフルネスに導きそして保つためのメタファー。[7]  そして、もうひとつは、現行の問題を、既存の枠組みから出てそのシステム自体をメタ認知することでシステム論的に解決するためのメタファーだ。[8]
 
 メタファーが上手くハマれば、気持ちや認識、行動に変化が起こる。 それも、あらゆる抵抗をすり抜け、いままでの思い込みの箱から飛び出すような形式で。その意味、メタファーの「メタ」は枠組みの外にある視点に立つということでもある、しかもメタファーを使えばそれが無意識に行われる。要は、情に流されずにより大きいサイバネティック・ループが見えるようになり、メタの視点からの打ち手を考えられるようになるということだ。


メタファーのコミュニケーションは意地を通さなくてもよい
  
   米大統領予備選挙のディベイト、Youtubeで視聴すると、ドナルド・トランプは特に威勢がいい。カーリー・フィオリナ候補に向かって、お前は無能経営者だ、合衆国の経営など任せられない。難民は米国に来るな。オバマはゴルフのしすぎだ。レイムダックなんてやってないで真面目に執務をしろ・・・と非常に辛辣だ。

 金持ちで怖いもの知らずの特権か!? とりあえず子供のように意地はなんでも通してみる。行き着くところまで行き着いたコミュニケーションのパターンは社会実験としては興味深い。

 もっとも、日常生活や仕事の場面では、上手くいかないだろう。特に日本ではそうだ。日本のコミュニケーションはコンテクストが高い。本音を言挙げしてズケズケと物を言うリーダーのようなスタイルは案外危険視される。上から目線で命令されても抵抗される。強く押せば押すほど、押し返される抵抗は強くなる。仮に社長のような権力を持った地位でも、まわりに茶坊主ばかりが集まって来て、会社は傾きはじめることになるだろう。やはり、高コンテクト故の間接表現が好まれる。

 そこで使う技法のひとつがメタファーとなる。

 米大統領選挙でもそうだ。クリントンは、J.F.Kに自分のイメージを重ね演説や振る舞いまで J.F.Kを意識して真似て彼の再来だというイメージを演出した。要はメタファーだ。まぁ、結果は、J.F.K.の助平なところまで真似してしまったのが最悪だったのだが(笑)。コーチのアンソニー・ロビンズがコーチングをしたなどと偉そうに語られる。が、実際は、このホワイトハウスでの不倫を国民とヒラリーにどう説明しよう?という情けない相談に付き合わされたというのが本当のところだ。所詮その程度だ。

 オバマはやはり同じように J.F.K.やキング牧師に自分のイメージを重ね、催眠言語まで駆使して大統領選挙を勝ち抜いた。[9]が、外交は最悪、国内でもコミュニケーションが苦手な史上最も無能なモンロー以来の引きこもり大統領として記憶されることになるだろう。結局、小手先のテクニックではなんともならないのだ。これは、就任当時に評論家の勝谷誠彦氏がコトダマ大統領の危険性を指摘していた。流石だ。

 もっとも、当選まではメタファーが有効に働いたことは間違いないのだろう。意地を通さないソフト路線でJ.F.K.に便乗して虎の威を借ることに成功した。だがその後は実力が問われる、と。

 さて、ドナルド・トランプ候補だが彼がドナルド・レーガン自分に重ね、メタファーとして使い始めたら要注意だが、おそらくそうはならないだろう。よい意味でも悪い意味で、トランプはトランプの後にトランプなしトランプの前にトランプなし、俺は俺だと思っているからだ。その点はある意味清くもある。意地を通して大きな抵抗にあう。だから大統領にはならないだろう。
 
 余談だが、HP時代のフィオリナ候補もメタファーを活用した。ガレージのルールなる標語を使って、創業の精神に戻ろうと提唱し、創業者の威を借りて会社を改革する作戦を展開した。[10]ハマれば、老舗の日本企業でも有効なアプローチでではあるのだろう。高コンテクストではメタファーの間接表現は有効だ。もっとも、フィオリナ候補を招聘した先のCEOルー・プラットはハーバード・ビジネス・レビューのインタビューで「人生で一番後悔しているのは彼女をCEOにしたこと」と後悔していたようだ。が、最近では、歴代のCEOとしては良くはないが、言われているほど最悪でもないという評価に変わってきている。憲政の常道を無視した民主党の無能数珠つなぎ総理ではないが、その後が最悪続きだということだ(笑)。

 何れにしても大統領選挙で、どの候補がどのようなメタファーを使っているか?どんなメタファーで有権者に働きかけているのか?という視点で眺めてみるのもまた一興ということだ。おおらく上手なメタファーで自分を引き立てた候補の決戦投票になる。

 長々と書いたが、人類学者グレゴリー・ベイトソンを継承する流派であるジェダイの騎士ならぬ、ベイトソニアンが心に置いているのは、「メタファーを使え、ルーク! Use Metaphor Luke !」「パターンと共にあらんことを! May the  Pattern with you !」の標語とともに、メタファーという名前のパターンを見抜き、メタファーという名前のパターンを使え、ということになるのだろう。
  

(つづく)

 文献

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