2015年12月3日木曜日

仕事で使えるミルトン・エリクソン(その4)

                       

 痛みは、問題解決において

 必ずしも悪いわけではない

 むしろ、これを活用する必要がある、と

 痛みは、既存の枠組みを超えて変化を促して結果を得るリソースにも成り得る


 <ひとりごと>



痛を自分の師とせよ

   心理療法家のミルトン・エリクソン。伝説が一人歩きして超能力者だったように語られることがある。この能力が非常識な結果を生み出した、と。

  これが本当ならば、我々のような凡人は一歩もエリクソンには近づけないことになる。理由は、わけのわからない超能力の存在の有無もさることながら、超能力をどのように身に付ければよいのか?その方法すら皆目見当がつかないからだ。
  
 しかし、学術論文にあたると、まったくもってそういう<事実>はないことが分かる。もっと言うと、エリクソンがやっていたことは誰でもできるプロセスで説明されている。違いは、どこにでもある技法を、少し違う趣向、あるいはコンテクスト(文脈)で使っていたことぐらいだ。ただし、観察による状況把握と技法の精度とタイミングがとんでもなく精緻だ。それでも、エリクソンの技法は誰でも実践できることの積み重ねからできている。[0]

 その気になれば、ミルトン・エリクソンの使っていた方法は凡人にも使えるということだ。もちろん、非常識な結果を生み出すには、練習は必要だろう。観察力を鍛えて、適切なタイミンで活用するする必要はあるだろう。しかし、一歩一歩のほふく前進になるが、それでもエリクソンには近づけるし、うまくなるにしたがって、それなりの結果は出るようになるはずだ。

 ミルトン・エリクソンが使っていたプロセスを学べば、それなりに結果が出る。これがここでのテーマである。エリクソンに学んだオハンロンがクライアントに対する可能性を開いたところを学んだとすれば、我々がエリクソンの技法自体を学ぶ可能性を追求してもバチがあたることはないだろう。

 で、今日のお題は以下、[1]



痛みを自分の師とせよ。痛みだけが自分の師であり続ける。



    これは、エリクソンのプロセスというより、プロセスが技法がどのように出来たのか?という、それより手前の話だ。また、痛みがある限りそれをカイゼンし続けることができるということでもある。余談だがここで使っているカイゼンは、トヨタ生産方式産みの親の大野耐一氏の言う、金をかけずに知恵を絞るカイゼンという意味で使っている。

  ミルトン・エリクソンは生涯2度の小児麻痺の発作に襲われ、いつも体のどこかに痛みを抱えていたと言われている。施療にトランス状態を活用したのも、リンキング、スプリッティングなどの様々な技法が生まれたのも、筆舌に尽くしがたい避けることの出来ない自分の痛みを緩和する差し迫った必要性があったからだ。

 その意味では、エリクソンの様々な技法は、痛みを母とし、師として生まれた。

 もちろん、心理療法ならば、その技法について、二重盲検やメタ分析などの手法で優位性を確かめなければならない。自分に有効、だから即同様の他人にも有効だ、という無邪気な考え方には同意してはならない。仮説ー適用ー検証を繰り返すことで、どのタイミンで、どの状況で技法を適用すればよいかの理解が限りなく高まるからだ。要は、個々のクライアントの振る舞いを環境を含むシステム全体を含めよく観察する力を磨き続けろ、ということでもある。

 しかし、日常生活や仕事の場面を考えると、この話はメタファーとして示唆深い。

 物理的な痛みではなくても、こころの痛みを母として対処方法を生み出すことができる可能性があるからだ。痛みは可能性を閉ざすのではなく、痛みから何かを学び、可能性を広げる方向で活用するべきだ、というエリクソンからの贈り物とも取れる。痛いから気づける、痛いから学べる、痛いから可能性が見つかる、痛いから実行の背中を押してくれる、という具合に痛みは利用するものなのだ、と。
 

痛みを利用する、既存の枠組みを超えるために
   
 激しい「痛み」は苦痛である。当たり前だ。「痛み」は、局所的に自分の注意を惹きつけ、思考や行動に制約をかける。しかし、痛みが100%悪いだけか?と言われると、そうではないだろう。

 逆説的に、激しい「痛み」は、五感が研ぎ澄まされて「痛み」に集中した状態だ。「痛み」が気になるとそれ以外のことは気にならなくなる。痛みがない状態ではこれほど集中出来ないだろう。

 また、局所的な目的が明確になる。一刻もはやくその痛みを緩和する、あるいはそれからぬけ出すことが何より優先されるからだ。つまりは、「痛み」を感じなくなって、もと通りに思考や行動ができる、という明確なゴールが浮き上がる。但し、単に「痛み」のない状態に戻るのが本当にゴールか?と言われると疑問は残る。その理由は、「痛み」を単なる<現象>と見ると、それよりもっと大きなループとしてある何かを見るようにしたいからだ。喉元過ぎれば、何とやらではないが、単に「痛み」がなくなるだけでは、何も学んだことにはならないのだろうから。

 不幸にして感じる「痛み」であるが、幸か不幸か、普段とは違う意識になっていることは確かだ。誤解を恐れずに言えば、「痛み」を感じることで、意識や行動に「変化」が起こることは確かだ。普通は「変化」をすることが「痛み」と感じて抵抗を示すものだが、「痛み」があるから「変化」へのステップへ容易に足を踏み入れることができるというのも、少し不謹慎だが興味深い気づきだ。
  
  エリクソンの痛みへの対処は学ぶことが多い。

 エリクソンは、自身の「痛み」を緩和するだけに留まらず、なぜ、創発的にいろいろな問題解決の技法が生まれたのか?というのは面白いところだ。

 エリクソンの痛みは身体的な痛みであり、逃げることは出来ない。また、その影響が中長期に渡っている。その意味、何かをしても、何もしなくても、痛みを感じる統合失調症的なベイトソニアンの提唱したダブルバインドの状態にある。

 当然ながら、その痛みを緩和するなり、感じなくする、というのが差し迫った当面のゴールだ。しかし、そのダブルバインドを超えることは並大抵のことではない。

 逆に言えば、ダブルバインドを超えるその技法は、必然的に非常識ならざるを得ない。統合失調症的ベイトソニアンのダブル・バインドに治療的エリクソニアン・ダブルバインドをぶつける。そうして、ダブルバインドを超えた解決策を導く。だから、エリクソンの技法は必然的にアンコモン(Uncommon)な技法となる。

 クライアントに試す前に、自分自身で何度も何度も技法を試す。特に、「痛み」が緩和されることを再優先に。自分を実験台にして、それなりの結果を得る、その後、それをクライアントに適用する。効果がなければ、このカイゼンを繰り返す。こういうやり方になる。また、技法をエリクソン自身に適用している時点で、痛みが緩和されて集中した心身状態になっているのは確かだろう。


 さて、エリクソンとは違うが、日常生活や仕事の場面でも痛みはあるだろう。物理的な痛みというよりは論理的なこころの痛みになるだろうが。この場合、逃げずに対処してみるのが良いように思う。ただし、命の危険がない場合に限るが。

 痛みを伴う困難な問題の最難関は大体ダブルバインドの形式だ。<あちら>を立てれば<こちら>が立たず、そこからは逃げられない。夏目漱石は「草枕」で言っている「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。」と。

 これを解決するには現在の枠組みでは難しい。枠組みの外に出て既存の解決策とは違う非常識な解決策である必要がある。何れにしても、一番重要なことは、まずこれらを自分の「痛み」として受け止めてみるということだろう。「痛み」がなければ始まらない。これは大きなチャレンジだが、解決できれば得るものが多い。既存の延長を超えて解決なければいけないのは逆にチャンスだ、と考えまずは「痛み」を受け止めることから始めよう。まずは、そこからだ。

 集団でも同じだ、個人的はなくても、会社となればさらにいろいろな痛みがあるだろう。例えば、サプライチェーンの問題、人事の問題、営業の方法・・・あげればきりがない。これも最難関の問題は大体ダブルバインドの形式を取る。既存の枠組みでの解決は難しい。ここでも、まず「痛み」を感じて、それを受け止めてみることである。いずれにせよ、自分たちの痛みを伴う困難な課題を痛みを師として取り組んでみる。それが難しければ難しいほど、解決できた時に得るものは多いだろう。

    さて、よく出来た方法論は、ダブルバインド、ジレンマ、葛藤、対立を<利用>する形式の方法論だ。エリクソニアン・アプローチに限らず、弁証法、TRIZ、TOC ・・・・からハーバード交渉術に至るまで・・・ただし、これらを頭の記号操作だけで使ってはいけないように思う。まずは、「痛み」を感じ、それを受け止めてみることからである。

 「痛み」を師として、いろいろ感じてみると良いだろう。

 「痛み」は、「変化」や「解決」への入り口であることは間違いない。

 
(つづく)

 文献


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