2015年12月6日日曜日

仕事で使えるミルトン・エリクソン(その5)

                     

 この世の中に唯一変えられることがあるとすれば、

 それは、自分から見た<関係性>だけのように思えてくる。

 いわゆる<つきあい方>だ。対象は、いろいろある。

 これは、人類学者のベイトソンがいった<結ばれあうパターン>

 でもあるし、心理療法家のミルトン・エリクソンがクライアントに

 気づかせたものでもあるのだろう・・・・

 <ひとりごと>



変えられないことがあることを知る

   心理療法家のミルトン・エリクソン。伝説が一人歩きして超能力者だったように語られることがある。この能力が非常識な結果を生み出した、と。

  これが本当ならば、我々のような凡人は一歩もエリクソンには近づけないことになる。理由は、わけのわからない超能力の存在の有無もさることながら、超能力をどのように身に付ければよいのか?その方法すら皆目見当がつかないからだ。
  
 しかし、学術論文にあたると、まったくもってそういう<事実>はないことが分かる。もっと言うと、エリクソンがやっていたことは誰でもできるプロセスで説明されている。違いは、どこにでもある技法を、少し違う趣向、あるいはコンテクスト(文脈)で使っていたことぐらいだ。ただし、観察による状況把握と技法の精度とタイミングがとんでもなく精緻だ。それでも、エリクソンの技法は誰でも実践できることの積み重ねからできている。[0]

 その気になれば、ミルトン・エリクソンの使っていた方法は凡人にも使えるということだ。もちろん、非常識な結果を生み出すには、練習は必要だろう。観察力を鍛えて、適切なタイミンで活用するする必要はあるだろう。しかし、一歩一歩のほふく前進になるが、それでもエリクソンには近づけるし、うまくなるにしたがって、それなりの結果は出るようになるはずだ。

 ミルトン・エリクソンが使っていたプロセスを学べば、それなりに結果が出る。これがここでのテーマである。エリクソンに学んだオハンロンがクライアントに対する可能性を開いたところを学んだとすれば、我々がエリクソンの技法自体を学ぶ可能性を追求してもバチがあたることはないだろう。

 で、今日のお題は以下、[1]



 変えられないことのあることを知る。



 隅田川の川辺を散歩する。土手に植えられたソメイヨシノの葉が真っ赤に色づき、落葉の季節を迎えている。季節の移り変わりは「変化」であり、「変化」はどこにでもある。人為的に起こったものでもない。単に「変化」に気づいただけだ。



 「変化」は起こるものであって、起こすものではない、ようにも思える。

 その証拠に人為的に「変化」を起こそうと画策・実行する。結果、思わぬ抵抗にあい、その目論見は無残にも失敗する。人為的な「変化」の企てはろくなことにならないように思えてくる。経営者、組織開発コンサルタント、あるいはプロジェクト・マネージャなら実感していることだろう。
  
  人、あるいは組織の考えや行動を変える。これは難しい。いや、ほとんど不可能に近いと言ってもよい。もちろん、ここで言っているのは、人為的に半ば強制的に変える、という意味だ。

 人や組織の考えや行動は、普通サイバネティクスのネガティブ・フィードバック・ループの元に<維持>されている。[2] これは、外乱があっても元の状態に戻ろうとする力と考えられる。簡単に言うと、現状維持をよしとする認識・行動のやり方だ。組織を維持するには、無くてはならない。ただし、行き過ぎると過去うまく行ったことと同じことだけをやっていればよいという硬直化につながる。

 人や組織の認識や行動は固定化する。ある状況ではよくても、ある状況では役に立たないということが起こる。加えて、状況に応じてうまく変えられないということも起こる。実は、大きな災害、金融危機よりも、ほんの少しの環境の変化が認識できないことのほうが、より深刻だ。ここで必要なことは環境に合わせた「変化」だ。しかし、大抵の人や組織にとってこれは非常に難しいこととなる。理由は、ネガティブ・フィードバックで維持されているからだ。結果、「変化」に適応できず、組織は衰退を始める。

 人や組織の考えや行動の「変化」は、(明示的もしくは暗黙的な)目的に対する、ポジティブ・フィードバック・ループの元での<変化>となる。これ以外はない。もちろん、これは目的に対する偏差を拡大する方向であり、先ほど述べたネガティブ・フィードバック・ループが偏差を縮小するのとは正反対の方向となる。ポジティブ・フィードバック・ループが同じレベルで無理ヤリ活用されれば、対立が起こり先ほどのネガティブ・フィードバック・ループの<抵抗>を引き起こす。

 誤解を恐れずに言えば、江戸時代、藩政改革をやり遂げた上杉鷹山が炭火の中にある<改革の火種>を絶やすな、といったのは、このポジティブ・フィードバック・ループのことだ。火種は大切に成長させないと、ネガティブ・フィードバック・ループの力によってかき消される。

 火種を消す力は組織の至るところにあふれている。[3]

 例えば、変化など必要ない、必要性がわからない。そもそも、そんな変化では今の問題が解決できない。変化の方向性に合意できない。変化の結果、望む結果を生まない。変化の結果、副作用がある。変化のやり方に問題がある。変化するのが心理的に怖い、と様々だ。

 人為的に動的プロセスとして「変化」させようとすればするほど、動的プロセスとしての<抵抗>はますます強くなる。同じレベルでの対立構造と見ているからだ。歯車が咬み合ってお互い反対方向に回ろうとしている状態になる。結果、<変化>と<抵抗>のシンメトリーな関係はエスカレーションして歯車同士は膠着する。ほとんどの場合、<変化>が負け、<変化>の歯車ははじき出される、あるいは壊れる。結果、組織と現状の認識・行動は維持されるが、その組織は外的環境の変化に適応できずに、衰退を始める。これは、どこにでもある話で、身の回りにいくつも転がっている。
 
   反対に、<変化>に成功するのは、<変化>と<抵抗>のシンメトリーな同レベルでの対立関係性を変化させることができた時だけだ。

 もっというと、<変化>と<抵抗>をコンプリメンタリーな関係つまり、相補関係とすることだ。つまり、<変化>に対する<抵抗>から、<変化>を促す<抵抗>へと変えることである。ヨットは風上に向かって走ることができる。心理療法家のミルトン・エリクソンが得意としたのはこの技法だ。<変化>のために<抵抗>を<利用>した。ただし、クライアントに無理強いしたのではなく、あくまでもクライアントが気づく形式で支援だけを行った。ここは、非常に重要な点だ。

   しかし、これでは、まだまだ不十分だ。理由はこれだとたいした変化は起こらないからだ。ウオツラウイックたちが、アシュビーを援用して述べた第一次変化(First-Order Change)と言ったレベルになる。[4] 同じ枠組みの下で多少の改良を加えたレベルでの変化だ。

 大きな変化はどのように起こせるのか?第二次変化(Second-Order Change)と呼ばれる、<変化>が<変化>する変化だ。

   結論から言うと、<変化>と<抵抗>のメタ・コンプリメンタリーな関係が必要だということになる。これは、あるレベル、例えば行動レベルでは<変化><抵抗>は、シンメトリーな対立構造だが、最終的に目指すところは相補関係になり、利害が一致しているような関係だ。[5]  TOCの対立解消図に類似しているのも興味深いところだろう。エリクソンならこれを<変化>しても<抵抗>しても、どちらもよいものが得られる。といった治療的ダブルバインド仕立てで使うだろう。このようなフォーマットで関係性を変化させることで、既存の枠組みを超えた変化が得られることになる。この時が本当に<抵抗>を<利用>して<変化>した時となる。もちろん、無理強いはいけない。ファシリテーションはあるかもしれないが、主体が自主的に行う話だ。

 これが、人や組織の認識や行動<変化>のメカニズムだ。
 
 余談だが、ミルトン・エリクソンは、クライアントとのどのような関係性を築いていたのか?という疑問が浮かぶが、これを書くのは別の機会に譲りたい。

 さて、隅田川の水上にも、オナガガモがやってきた。水上から風がやってくる。これからもっと寒い冬がやってくる予兆だ。風がだんだんつよくなり、ソメイヨシノの葉を散らしていく。しかし、少し先のことを考えると、満開の桜を咲かせる準備のように思える。「変化」はそこにある。変化を実感するには、ただそこにある関係性に気づくことだけ、なのかもしれない。

 散歩をしながらそんなことを考えた。
 

(つづく)

 文献
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