2016年6月3日金曜日

コミュニケーションと冗長性と



 人のコミュニケーションは《冗長性》を持つ。                                                                                                                                 
 言葉である《メッセージ》と表情ジェスチャー、あるいは行間に含まれる《メタ・メッセージ》が同時に送られるという《冗長性》だ。
 
 普通はこれらが一致している。しかし、不一致を起こす場合がある。口では同意してもしかめっ面をされるというのがこの例だ。この類のコミュニケーションは相手に対して含みを持たせることもできるし、混乱をもたらすこともある。人類学者のグレゴリー・ベイトソンが研究したことでもある。この手のコミュニケーションは難しいところもあるが、興味深いところでもある。

 <ひとりごと>



人身の回りにある冗長性 (Redundancy)

     船がつながれている川のほとりを散歩する。何気なくあたりを観察していると、予備の船外機を積んだ船を見かける。もちろん、主となる船外機が故障した場合を考えてのことだろう。

  個人的には、 もともとこういうことを最重要視する仕事からキャリアをスタートした。故に身の回りにある《冗長性 Redundancy》という概念はとても気になる。銀行や証券の基幹系ITシステムは止まってはこまる。だから、必然的に冗長性を持った構成になる。



 難しいことを言っているわけではない。身の回りにもあふれている。

例えば、「旅行で利用する航空機のエンジンはなぜ2発以上なのか?」「車にはなぜスペアタイヤが積まれているのか?」「ミュージカルをなぜダブルキャストにするのか?」「人の肺や腎臓はなぜ2つあるのか?」「重要なプレゼンテーションでなぜ2台のプロジェクタと2人以上のプレゼンターを用意するのか?」・・・・など、事例には事欠かない。

冗長性を持つことで不測の事態への対処が容易になる。物理的な冗長性を持たせることで、システムは外乱に対する《レジリエンス》を高めることができる。もちろん、仕事のできる人間はコストの許す範囲で極力冗長化を目指す(笑)。


コミュニケーションと冗長性 

   コミュニケーションも冗長性を持つ[1]。例えば、言葉としての《メッセージ》と表情ジェスチャあるいは行間にある《メタ・メッセージ》が同時に送られるということだ。が、論理的な冗長性は少々厄介だ。

 http://ori-japan.blogspot.jp/2013/03/blog-post_15.html

 会社などでもあるだろう、取引先に提案書を持っていったところ。「これでよろしいんじゃないでしょうか」と言われたのだけれどしかめっ面をされてため息をつかれたとか(笑)。

  極論すれば、これが悪い方に出ると統合失調症の原因仮説として研究されたベイトソニアンの ダブル・バインドとなり、人を癒やすほうに使えばエリクソニアンのダブル・バインドとなる。

 http://ori-japan.blogspot.jp/2011/11/blog-post_06.html
 
  もちろん、コミュニケーションからメタ・メッセージを排除することはできない。ある情報を意図なく提出しても、「なぜ、この時期にこの情報が出てくるのか?」と勘ぐる人はいる。

 むしろ、個人的な疑問は情報の《冗長性》が人のこころのレジリエンスを高めているのか?ということだ。《冗長性》が排除できないとしたら、むしろ組織や人のレジリエンスを高める方向で活用できないだろうか?というのがここでのテーマだ。その意味ではチョイ悪のためのベイトソニアン・ダブルバインドとそれを外してレジリエンスを高めるためのエリクソン・ダブルバインドはいつも表裏一体だということなのだろう。

 風の気持ちのよい6月のはじめ、散歩をしながらこんなことを考えみた・・・・

    
(つづく)

文献
[1]https://www.gwu.edu/~asc/people/new/bateson/egb.html

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