2016年7月10日日曜日

身体化された認識、言語、メタファー


                                                                                                                             
 認知科学も色々な流派がある。

 機能派、コネクティビズム、エナクティビズム・・・・

 個人的には、この前亡くなったマービン・ミンスキーみたいな東海岸のちょっとお固い感じより、西海岸の緩〜い感じのほうが好き。


 <ひとりごと>



身体化された脳神経科学?

  個人的には認知科学を極めたい、という意図も意志もまったくない。でも、心理療法家のミルトン・エリクソンが活用したメタファーについてはとても興味がある。[1]
  
  はじめに、<分ける=分かる>のロジックで考える、個人的には一般意味論に倣って、その技法を1)統語論、2)意味論、3)語用論の視点から見ているところはある。[2] まぁ、学問は細分化される方向にあるのでこれはこれで仕方ない。本当は、自分の前に世界がどう現れるのか?世界とどう関わっているのか?というのを感じるなり説明するなり、ということになるのだろうが、こういった綜合的なことは面倒くさくなるのでここでは書かない(笑)。

  で、話を元に戻す、特に意味論から見たらどうするのか?ということになる。

 一般意味論も悪くないのだが、少し古いし、エビデンスという意味では少々問題がある。そこでその代わりに出てくるのがメタファーをその中心に据えた認知言語学というわけだ。一般意味論の代わりに認知言語学をモノサシとしてミルトン・エリクソンを観察するとちょっと違う<見えないもの>が見えてくるという具合だ。[3]

 人の心はモデルや数式で表すことはできない。但し、ある程度、心はどう働くのか?はモデル化することはできる。
 
  人は世界を知覚、認識する。そして、コトバで表現する。コトバは抽象的な概念としてメタファーになる。メタファーは意味の枠組みをつくり、その人を司るドミナント・ストーリーが出来る。メタファーは知覚、認識にもフィードバックとして影響を及ぼす。人の認識や行動が変化するためにメタファーが変化する必要がある。単純化するとそんな感じだ。

 で、YoutubeでUCバークレーの認知言語学のジョージ・レイコフの講義を参照していた。今、スタンフォード研究所のナラヤナンと一緒にに本を書いているようなのだが、こうご期待だ。



 余談だが、心理療法家のミルトン・エリクソン、自分の軸が定まっていない人が始めるとどうしても、オカルトに走る(笑)。まぁ、そうならないためにもこんな知見は必要なのだろう。もちろん、別に勉強しろ言っているのではなく、身体系とか古武道とかの枠組みで覚ったら問題ないのだろうけれど、論文は書けない(笑)。何れにしても、何らかの軸は必要だ(笑)。

(参考)
http://ori-japan.blogspot.jp/2012/05/blog-post_11.html

(つづく)

文献
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