2016年8月11日木曜日

ミルトン・エリクソンの系譜:神社と視点とサイバネティクス


                                                                                                                             
 神社でこういうお遊びをしたら怒られるかなぁ?

 まぁ、「記紀」に出てくる神様は案外はハチャメチャだから、多分大丈夫だな(笑)。

 <ひとりごと>



神社はサイバネティクス的にも深い

  ご近所の神社へ参拝に行く。

  拝殿の前に立つ。奥に鏡が置かれている。出雲大社や宇佐神宮ではないので二礼二拍手一礼でお作法通りに参拝。

  で、神社に参拝する時、いつも考えているのはコンテンツとしての自分の願いではなく<鏡の奥にある視点>のことだ。神社という装置を活用させていただいて自分の視点をチェックしているところがある(笑)。

  この背景は、人類学者でサイバネティストのグレゴリー・ベイトソンは心理療法に<鏡の奥にある視点>を持ち込んだことだ。で、MRIのベイトソン・グループのやり方はこうだ。


1. の場所は、家族と心理療法家が心理療法を行う場所。
2. はマジックミラー。
3. チームルーム、マジックミラーの奥に設けられている。
4. 心理療法家チーム。1の心理療法家へなんらのフィードバックを送る。
5. は論理的な境界、物理的な壁は設けられていないが、心理療法家チームと観察者チームを分ける。
6.は観察者チーム、心理療法家チームへフィードバックを送る。

 具体的には、米国サイバネティクス学会から出ていた「Continuing Conversation:A News Letter of Ideas in Cybernetics」[1]に詳しい理屈とシーケンスが書かれている。

   要は、家族というシステムの中で行われているコミュニケーションをより精緻に観察して、心理療法家も心理療法もシステムとして機能させるためには、二重記述、多重記述することが重要だということだ。問題や課題は抽象度を上げてメタ記述することで不思議と見えてくることは多い。しかも、本質的な何かが。

 このことを前提に、SlideShareにあったミラノ派家族療法のスライドを読んでみる。[2]ミラノ派はベイトソンの理論をその技法に忠実に再現しているイタリアの家族療法の学派だ。




    理論と技法、特に、<鏡の奥の視点>をどのようにとるのかは興味深い。

 さて、神社でご神体の鏡に向き合う。

 勝手に自分なりの<日本神話>をつくり始める。願いを叶えようとしている、あるいは現状の課題に向き合っている自分を観察する。鏡のこちら側の世界のことだ。

 <鏡の奥の視点>に意識を飛ばす。鏡の奥に、自分や関わりのある人に何かアドバイスを与えようとしている神様のチームを想像する。神様がフィードバックを与えようとするのだったらどんなフィードバックなのだろうか?と考える。ここでは、神様は案外ワイワイガヤガヤ喧嘩しそうな感じで議論している感じだ。

 そして、鏡の奥で、アドバイザーの更に後ろにいる、観察者の神様が割りと覚めた視点で事務的にアドバイザーの神様に何かフィードバックを返す与えすとしたら何かを考える。このアドバイスはもっとメタな感じになるはずだ。

 そして、メタなアドバイスを受けて、アドバザーな神様たちが鏡の奥からどんなフィードバックを送ってくるのか?考えると結構面白い感じになるのは確かなことだ。

 もちろん、これは自分の視点を「私はこの願いに何を期待しているのか?」から「私の願いは私に何を期待しているのか?」の転換になるのだろうが・・・・・
 

(つづく)

文献
[1]http://www.deissler.org/pdf/cont_conv.pdf
[2]http://www.slideshare.net/virupakshahs1/milan-school-of-family-therapy

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