2016年9月17日土曜日

一般意味論:正気とクリティカル・シンキング


                                                                                                                             
 陰謀論、

 事実と推論を区別せず、自覚なく陰謀論を語っているヤツはヤバイ(笑)。

 <ひとりごと>



自分が信じる枠組みをつくるプロセスの自覚(笑)。

  備忘録として書いておく。

なぜ、情報に振り回されるのか?》ネットなどで様々な情報がいくらでも入手できるようになっている。情報リテラシーが低いと生活はこういった情報に振り回されるようになる。そもそも、情報リテラシーが低いということはどういうことなのか?
   ここで、情報収集と処理について重要な問が浮かぶ。一つは、目的論的なこと「何の目的でこんな情報を集めているのか?役に立つのか?」。もう一つは、認識論的なこと「この情報は正確なのか?裏取りはできているのか?」。そして、もうひとつは、方法論的なこと「この情報は私が何かをする上で役に立つのか?」

自覚の問題か?》もちろん、理屈の前に人は感情の生き物だ。ついつい、ネット上の情報源のはっきりしない「そのとおりだ」「気の毒だ」「同情する」「けしからん」「激怒した」のような、文字通りの情報(情+報)に振り回される。本当にそれが存在しているかどうかも分からないのに、ついつい陰謀論にハマる人も多い(笑)。陰謀論にハマる人はおそらくハマっている自覚もないはずだ。肚が座っていないことからくる情に一々反応していると、やはりろくな事はないのだ、と思う。

思考の奥にあるもの》こういった情報に振り回されずに情報リテラシーをあげるのには、クリティカル・シンキングなどを習得すればよいのだろう。もちろん、「クリティカル・シンキングを学べ」といった安直な発想ではなく、個人的には、もう少し人の認知や言語というところから始めたくなる。それは、「Critical Thinking and General Semantics(クリティカル・シンキングと一般意味論)」[1] みたいなエッセーに書かれているような人の内側のことも気になるからだ。「そもそも、思考とは何か?」と考えた場合、もうすこし深い枠組みやモデルは提供してくれるはずだ、という期待も少しはあるからだ。

 一般意味論の入門書としては、個人的には、愛読書「Drive Yourself Sane」[2]がお勧めだ。でこの著者のコーディッシュ夫妻の映像も Youtubeに上がっているし、Facebookの General Semantics のコミュニティで色々やりとりもできるという凄い時代にはなっている(笑)。


地図は土地ではない》 最近は一般意味論の前提というか仮定の一つとして「A Map is not the territory .(地図はそれが示す土地と同じではない)」ということは知られて来ているが、これが何を示しているのか?は正確に理解されていない。もちろん、これが3つの原則のうちの一つだということも。これを正確に理解するには、アルフレッド・コージブスキーの「Science and Sanity」[3]を読む必要がある。

 個人的には2、3回読んだが、結構骨が折れるのはその通りだ。ポーランド人のコージブスキーは第一次大戦に従軍して大怪我をするのだが、バルカン半島でオーストリア皇太子フランツ・フェルディナンド夫妻の暗殺から始めった小競り合いがなんでこんな大戦争に拡大したのだろう?という不条理を感じていたのだろうと想像する。第一次世界大戦の死者数は敵味方、軍人民間をあわせて1,600万人。初めて総力戦となった戦争としての犠牲者と被害は甚大だ。だから、不正確な情報に振り回されずに「正気」を保って過ごす、あるいは判断する、戦火の拡大を防ぐ、このためにコージブスキー構築したのが一般意味論だというわけだ。

地図は土地ではないの一つの解釈》要点をひとつだけ書いておくと、自分の事実認識と推論の区別をつけろ!ということだ。つまり一般意味論的に言えば、自分の「抽象過程への自覚」を促す練習をするということだ。要は、人が①五感から情報取り入れる②コトバでラベンリングする③いくつかの経験を一般化して枠組みをつくる。④同じようなことが起こると<いつもあれ>という見方をするようになる。場合によっては、自分の枠組みを事実に適用するようになる。極端な例を上げると「俺が貧乏なのは、ユダヤ人の陰謀だ」(笑)みたいなことから、軽い例だと「あいつは影で俺の悪口を言っている」と事実誤認してその人と仲が悪くなる、など様々だ。これを防ぐためには、このような知覚・認識のプロセス自体を自覚してメタ認知することで、事実認識と推論を区別することを心がけなさいということになる。

 おまけで書いておくと、一般意味論の日本語の著作は少ない、個人的には、「思考と行動における言語」[4]か「言語力 - 認知と意味の言語学」[5]で特に後者は隠れた名著としてお勧めだ。

気持ちを分離して自分の思考自体を評価する》さて、ネットの時代、自分に必要な情報を使う時は必ず裏取りする、というのは当たり前だとして。一般意味論を学ぶと、そもそも情報の見方、感じ方、選択の仕方に影響を及ぼす、自分の信念、価値観、思考の枠組み自体に偏り[6][7]はないのか?みたいな、もうすこし根本的なことに気づくきっかけにはなってくるのだろう。もちろん、物事を一歩ひいた視点からみる外在化は上手くなるし、仮に激怒するような状況でも、もう一つ冷静な視点を立てて物事を見ることができるようにはなるだろう。


参考リンク:一般意味論をメガネにミルトン・エリクソンを観察すると
http://ori-japan.blogspot.jp/2012/12/blog-post_26.html

(つづく)

文献
[1]http://www.criticalthinking.org/data/pages/40/8b3405431f79c74da093db45a889306d513671462487b.pdf
[2]https://www.amazon.co.jp/dp/0970066414/
[3]http://esgs.free.fr/uk/art/sands.htm
[4]https://www.amazon.co.jp/dp/400000977X/
[5]https://www.amazon.co.jp/dp/4788512300/
[6]http://ori-japan.blogspot.jp/2013/01/blog-post_21.html
[7]http://ori-japan.blogspot.jp/2011/09/blog-post_10.html

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