2016年10月25日火曜日

ファシリテーションの技術:ミラノ派家族療法を応用する(番外編2)


                                                                                                                             
 神社でやる「茅の輪くぐり」、

 個人的には、「茅の輪」を生命のメタファーとして見ている(笑)。

 <ひとりごと>



「環」をもって尊しとなす

  備忘録として書いておく。

新しい技法には新しい認識論》コロンビア大学のサーバに1987年4月号の「Journal of Marital and Family Therapy」[1]が落ちていた。で、心理療法家のミルトン・エリクソン+MRI派生のミラノ派の家族療法が従来の家族療法と根本的に異なる「認識論(Epistemology)」[2]を背景にしてあることが説明されている。

 個人的に感じているミラノ派のセンスの良さをシステム論的に説明するとこういうことになる。ちなみに、個人的にはシステム論から先に入っていて、ウンベルト・マトゥラーナやフランシスコ・ヴァレラの「オートポイエーシス」が先にある。これが一体何の役に立つのだろうか?の一つの答えがMRIやミラノ派家族療法だ、と捉えている。

 もちろん、マトゥラーナとヴァレラの見解が途中で違う方向にいったことも認識しているが、結局のところは、ミルトン・エリクソンの形式知化として「オートポイエーシス論」や「第二次サイバネティクス」が使われてエリクソンの技法の形式知がより人間ぽくなったと考えるのが妥当かもしれない。


In this paper , the "new epistemology" refers to the incorporation into family therapy of the cybernetic approach of Bateson (1972,1979), Maturana(1980), von Foerster (1973a,1973b), Vareal (1976,1979) and Verela & Maturana (1973). Theoretically , this has been accomplished by writers such as Keeney(1983) and Dell(1982,1985) , and in practice,by , among others , the Milan associates (Selvini-Palazzoli, Boscolo, Cecchin, and Prata, 1978) and their proponents (Tomm, 1984a, 1984b ; Hoffman,1981).

本論文では、「新しい認識論」は、ベイトソン(1972,1979) 、マトゥラーナ(1980)、フォン・フォルスター(1973a, 1973b) 、ヴァレラ、ヴァレラ&マトゥラーナ(1973)を示す。理論的には、キーニー(1983)やデル(1982, 1985)によって書かれ、(セルヴィーニーパラツォーリ、ポスコロ、チキン、よびプラータ 1978)によって実践され、トム(1984a, 1984b)やホフマン(1981)らの支持者がいる。

 
このあたりは、「ドラえもんは生物か?」[3]を引いて書いた。ここでの「新しい認識論」で現象を見てみるということは、生命を生命とし見るシステム論、つまりオートポイエーシスで見る、あるいは記述するということになる。余談だが、ヴァレラ、ロッシュ、トンプソンの著作「身体化された心」で取り組まれたのも、著者達は失敗と言っているが、システム論と仏教的円環的認識論の融合ということになる。



The new epistemology has seriously challenged family therapy , in that it has:
1. Critically reviewed family therapy theory. A primary concern of this critique has been whether or not family therapy concepts remained true to the cybernetic systems view as proposed by Bateson. Concepts of power and hierarchy , for example , have been criticized as linear concepts. The cybernetic view is , thus , proposed as a better theory for understanding living systems and , accordingly , families.

新しい認識論は、真剣に家族療法に挑んだ。それは、以下の点である。

1. 家族療法理論の批判的な再検討。ベイトソンによって提案されたように、この批判的な関心事項は、家族療法の概念がサイバネティクスなシステム論に対して依然、真かどうかということである。例えば、権力と階層の概念は、直線的な概念として批判されてきた。サイバネティックな見方は、これとは反対に家族にあるような生き物のシステムを理解するより良い理論となる。


 直線的な概念というのは、簡単にいうと「全体が部分を一方向的に規定する」というような概念だ。もちろん、会社でも上意下達が強すぎる組織はなんらか不自然な組織になる。

 反対に、家族にしても会社組織にしても、生き物によって営まれている組織は、「全体が部分に影響を及ぼす、また部分が全体に影響を及ぼす」というラグビーでいう「One for All , All for One」のような、円環的な因果関係が存在していることになる。こういう見方を提供しているのが階層を規定していない、神社の茅の輪のように円環として生命を規定するオートポイエーシスのようなシステム論となる。



2.Pointed to the clinical relevance of the family's "epistemology" or belief systems.Problems are understood as arising within systems of information and meaning; errors in "epistemology" are seen to lie behind any family problems.

2. 家族の認識論や信念体系の臨床的関連性の指摘。問題は、システム内で発生している情報と意味の理解から発生している。つまり、「認識論的なエラー」が家族の問題の背後にあると見られている。


 ベイトソン的には、家族や組織で発生している問題は、結局、「認識論」つまり、何をどのようなプロセスで認識しているのか?このやり方の誤りから発生していると考えているように思える。


3.Provided a description of the therapist/family system from a cybernetic perspective. Second order cybernetics, or the cybernetics of cybernetics, emphasizes the observer's inclusion and participation in the system(Keeney, 1983) and includes such concepts such as "self reference," "recursive processes," and the "construction of reality." The paradigm which includes both first and second order cybernetics will be referred to in this paper as the cybernetic paradigm.

3.サイバネティクスの観点からセラピスト/家族システムの(相互作用)の説明の提供。第二次サイバネティクス(サイバネティクスのサイバネティクス)はシステムにおける観察者の参加を強調する(キーニー,1983) 、また、「自己参照」「再帰的プロセス」「現実の構築」といった概念を含む。第一次および第二次サイバネティクスの両方がこの論文ではサイバネティクスのパラダイムとして参照される。


 ここで面白いのは、セラピストが権威的に家族に対して何か指示しているようなことではなく、セラピストと家族が対等[4]、あるいはセラピスト/家族、家族内に「部分と全体」の構図を見出し、これを生きているシステムとして参照しようと考えていることだろう。



4.Proposed an ontology, i.e, a theory of how the world is (Dell , 1985). This ontology emphasized the circularity and autonomy for systems and challenged notions of linear causality.

4.存在論の提案。例えば(デル, 1985)は世界はどのようであるのか?の理論。この存在論は、システムの円環性と自立性を強調しており、直線的な因果関係の概念に挑戦した。


個人的に、「オントロジー」と言えば、人工知能の実装である Semantic Web のプロジェクトをやった時に出てた概念だ、くらいの認識しかない。逆にいうと、哲学的なオントロジー、つまり存在論のような小難しい概念は想定していない。だから、ここでは、「自分が認識している世界に対してどのように意味を見出しているのか?」くらいの意味でしか捉えていない。

余談だが、ここでのデルは、テキサス大学出身の家族療法家のポール・デルのことを言っている。また、コンピュータ企業のデル(DELL EMC)の創始者であるマイケル・デルもテキサス大学出身だったことを考えるともしかしたら親戚なのかもしれない。まぁ、どうでもよいことだが(笑)。



The new epistemology differs markedly from general systems theory (von Bertalanffy, 1968). Second order cybernetics is of a higher order than simple ,or first order cybernetics ,which emphasizes the homeostatic and adaptive properties of systems and of second cybernetics (Maruyama , 1968) which emphasizes positive feedback in system transformation.

新しい認識論は、一般システム理論(フォン・ベルタランフィ、1968)と著しく異なる。二次サイバネティクスは、システムの変換で正のフィードバックを強調(丸山、1968)また、第二サイバネティクスはシステムの恒常性と適応特性を強調し、単純な、または一次サイバネティクスより高次である。


 ここに貢献しているのが日本人の丸山孫郎先生だろう。十数年前に日本に帰国されて、はこだて未来大学で教鞭を取られていたと思ったが、今は米国に戻られているはず。会社員時代の同僚らがここの大学と何か共同研究やっていたので、今度あった時に何か聞いてみよう・・・と思っている。

 さて、つらつら書いたが、結論はミラノ派は個人的な趣味にあっているということだ(笑)。

(つづく)

文献
[1]http://www.columbia.edu/itc/hs/nursing/m4050/baker/06InflGenRaceEthEco/mackin_miller.pdf
[2]http://ori-japan.blogspot.jp/2012/01/blog-post_14.html
[3]http://ori-japan.blogspot.jp/2013/03/blog-post_21.html
[4]http://ori-japan.blogspot.jp/2016/09/blog-post_59.html

記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com
https://www.facebook.com/okirakusoken

0 件のコメント:

コメントを投稿