2016年11月3日木曜日

ミルトン・エリクソンの系譜:アフリカスミレの女王の楽屋裏(その1)


                                                                                                                             
 エリクソンは暗黙知しか残していない。

 そして、その時代の最新のシステム論で形式知化してくれる人がいる。

 だから、エリクソンの技法はいつの時代も一番新しい(笑)。
 
 <ひとりごと>



人は人の中で癒される

  備忘録として書いておく。

アフリカスミレの女王

心理療法家のミルトン・エリクソンがクライアントをどのように見立てていたのか?

永遠のなぞのようなところがある。だからまずはできるだけエリクソンに近いところから当たってみる。

 Youtubeにエリクソン自身が語る「アフリカスミレの女王」の話が上がっている。

 話の要旨はこうだ。裕福で独身の52歳のご婦人がミルウォーキーにある大きな邸宅に一人暮らしをしている。このご婦人は、孤独でうつ状態だ。ただ、毎日教会の礼拝に出かけるためだけ外出する。ご婦人のうつ状態が最高潮に達して今にも自殺しそうなほどになった時、内科医の姪が同僚だったエリクソンに相談する。旅行でミルウォーキーに立ち寄った時、彼女の家へよってなんとか助けて欲しいと・・・・・

エリクソン本人による「アフリカスミレの女王」の話が始まる。




 ここで、なんらかの解説が欲しいところではある。

 蔵書の中からエリクソニアンのスティーブン・ギリガンの「The Courage to Love: Principles and Practices of Self-Relations Psychotherapy」[1]をめくってみる。


Erickson arranged to meet the woman in her home. From talking with her and touring her home, he noted three different identities. First, she was indeed depressed and isolated, with a  passive response style. Second, she was deeply religious and committed to her church (even though she never talked to anyone). And third, she grew some beautiful African violet plants in her sunroom.

 エリクソンはそのご婦人の自宅で合うように調整した。彼女の話と家の中を見せてもらったことから、エリクソンは彼女の3つの異なるアイデンティティに気づいた。一つ目は、物事に受け身で、確かに落ち込んで引きこもること。二つ目は、非常に信心深く(誰とも他の信者と話さないにしても)教会に深くコミットしていること。そして、三つ目は、サンルームでアフリカスミレを育てていること。


 
問題は現場で起きている
 
 エリクソンは、ご婦人の自宅に赴いて面接した。

 興味深い事実のひとつだ。問題は、現場で起きている。クライアントを診察室で診る。クライアントを往診で診る。この2つに違いがあるのは明らかだ。心理療法は社会科学的な領域だ、診察室の中だけでは取り巻く関係がよくわからない。エリクソンがこのご婦人固有の問題が起こっているコンテクスト、あるいは関係性、これらを観察したかったのは明らかだ。

 エリクソンが、心理療法家に人類学者を、人類学者に心理療法を、学ぶように勧めていた話は書いた。[2] 上の記述を読むとエリクソン自身がクライアントに対して人類学者のようなフィールドワークを身を持って実践していたことになる。現場を歩き、現実、現物を把握するのが重要なことは日本の製造業に限ったことではないのだろう。

 余談だが、この事例のエリクソンのスタイルを取るのであれば、一例として「シャドー・コーチング」がある。通常のエグゼクティブ・コーチングは会議室でクライアントと面接をするようなスタイルになる。つまり、コーチは人から聞いた「二次情報」しか扱えない。一方、「シャドー・コーチング」はクライアントが仕事をしている現場に「影のように」寄り添い、同じコンテクストにいて、他の人との関係性を観察しながら、コーチは実体験としての「一次情報」から随時フィードバックを送る。

アイデンティティといっても

 エリク・エリクソンの話ではない。しかし、ここではご婦人の状況をアイデンティティに還元して説明してある。一つ目はうつ状態で病人というようなアイデンティティ、二つ目は教会に通う敬虔なキリスト教徒としてのアイデンティティ。そして三つ目はアフリカスミレ(セントポーリア)を育てている花を愛するアイデンティティだ。もちろん、エリクソンは自分の体系を形式知として残していない。だから、これは著者のスティーブン・ギリガンによる説明である。

 グレゴリー・ベイトソンならこのご婦人の問題を関係性に還元して説明するだろう。

 つまり、このご婦人とご近所の方々、このご婦人と教会の方々の間に「コンプリメンタリー」[3]な関係があった。コンプリメンタリーは違いが明示され、役割分担が行われるような関係だ。ただし、現在はこの「コンプリメンタリー」な関係が進み過ぎて「お互い興味が無い」「居ても居なくても気にならない」という状態になっている。教会の礼拝にも参加するものの、牧師や他の信者と世話話をしていることもなく、黙々とそこにいるだけと推測できる。これも、「コンプリメンタリー」な関係が進み過ぎているということなのだろう。

 余談だが、この反対の関係としては「シンメトリカル」な関係がエスカレーションする場合だ。記憶に新しいところでは一時期話題になった「騒音おばさん」があげられる。背景に深い事情があるようだが、何かに逐一反応して言い争いや暴力に発展する関係のパターンがこれになる。個人的には、あるプロジェクトにご夫婦ともコンサルタントの方が参加している時、「シンメトリカル」な関係がエスカレーションして大変な目にあったことがある(笑)。

 さて、介入の方向は「コンプリメンタリー」な関係を強化する、ということになるのだろうが、詳細は明日以降に書くことにしたい。

(つづく)

文献
[1]https://www.amazon.co.jp/dp/0393702472
[2]http://ori-japan.blogspot.jp/2016/08/blog-post_8.html
[3]http://ori-japan.blogspot.jp/2016/10/blog-post_6.html

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