2017年2月5日日曜日

ミルトン・エリクソン論文全集を読む 36日目


                                                                                                                            
 知っている「部分」のことよりも、

 知らない「全体」があることを自覚していることのほうがより重要だ(笑)。
 
 <ひとりごと>



混乱技法と難事例について

  備忘録として書いておく。


 お正月から、ミルトン・エリクソンの論文全集『The Collected Papers Milton H. Erickson』[1]を読んでいる。読み方のルールはここ。それで、36日目の進捗などを書いておきたい。

《一本目の論文》

 一本目は、「Another Example of Confusion in Trance Induction」というタイトルの1ページの非常に短い論文というよりメモ書き。1976年にエリクソンがアーネスト・ロッシに語った昔話。内容的には短いながらも非常に興味深い。

   エリクソンがある医師たちを相手に講義をしていると別の医師が被験者になりたい女性2人を連れて講義にやってくる。エリクソンはこの女性2を被験者に「混乱技法」をつかったトランス誘導を行うということになる。

 内容は、おそらく英語ネイティブの人間が読んでも「何のこっちゃ?」となる内容だと思われる。逆にいうとだから混乱技法ということになる(笑)。もちろん、個人的にはここで一般意味論の「構造微分」を当てて読んでいるのでこの誘導の構造を論理的に説明することは可能だ。[2]

 内容をサマリーしておくと、数字を1から20まで、色々なバリエーションで被験者相手にエリクソンが数える。ここでエリクソンは「息子が4人、娘が4人おり、合わせて8人です」のようなある意味、訳の分からない「数え歌」のような方法で数を数える。これがある意味、被験者にとって混乱を招く。

 ここでのポイントは、エリクソンは、1が覚醒・・・・・20が深いトランス状態を会話の中の端々で示唆していることだ。これがある意味アナログ感覚にデジタルなインデックスが設定されているような格好になっている。ある意味、アンカリングで、数字に特定の心身状態がリンクされている。

 それで、エリクソンは(話のコンテンツとしては)混乱させるような内容の話をする。ただし、(トランスの度合いという意味でも)心身状態を間接的に示唆するような数字のインデックスがここに入っているという具合だ。それで数字をカウント・アップしていくような「数え歌」的なトランス誘導になる。エリクソンが20を数えると被験者が完全にトランス状態に誘導されることになる。

 もちろん、最初に前提として数字とトランスに誘導される心身状態の関連性を示唆しておくのがポイントなのだろう。前にも書いたが、おそらくこの誘導はソリューション・フォーカスト・アプローチのスケーリング・クエスチョンの原型でもある。
 
《二本目の論文》

 二本目は、「An Hypnotic Technique for Resistant Patients:」というタイトルの論文。エリクソンの論文は1960年代半ばくらいのものから洗練されてメチャメチャ格好がよくなる。この論文は、文字通り、セラピストに対して強い抵抗を示すような(今で言うとモンスター)クライアントに対してどのような対処するのかの技法が示されている。簡単にいうと、要は協力的で、かつ許容的なスタイルということになるが、相手には相手の世界観があることを認めて付き合うということになる。で、以下。


There are many types of difficult patients who seek psychotherapy and yet are openly hostile, antagonistic, resistant, defensive, and present every appearance of being unwilling to accept the therapy they have come to seek. This adverse attitude is part and parcel of their reason for seeking therapy; it is the manifestation of their neurotic attitude against the acceptance of therapy and their uncertainties about their loss of their defenses and hence it is a part of their symptomatology. Therefore this attitude should be respected rather than regarded as an active and deliberate or even unconscious intention to oppose the therapist. Such resistance should be openly accepted, in fact graciously accepted, since it is a vitally important communication of a part of their problems and often can be used as an opening into their defenses. This is something that the patients do not realize; rather, they may be distressed emotionally since they often interpret their behavior as uncontrollable, unpleasant, and uncooperative rather than as an informative exposition of certain of their important needs.

心理療法を求めているにもかかわらず、敵対的で抵抗を示し防衛的で、彼らが求めている治療を受け入れたくないということを示す多くの種類の難しいクライアントが存在する。

この不都合な態度は心理療法を求める理由のひとつでもある:治療の受け入れとその防御の喪失に関する不確実性に対する彼らの神経学的態度の現れであり、彼らの症候学の一部である。

したがって、この態度は、セラピストに反対するための積極的かつ意図的であれ、無意識的な意図であれ、尊重されるべきである。

そのような抵抗は、問題の一部の非常に重要なコミュニケーションであり、しばしば彼らの防御を解くために使用することができるので、公然と受け入れられるべきであり、実際には優雅に受け入れられるべきである。

これはクライアントが気付かないものだ:むしろ、彼らはしばしば、彼らの行動を、彼らの重要なニーズのあるものの有益な説明としてではなく、制御不能で、不愉快で、非協力的であると解釈するので、感情的に悩まされるかもしれない。


 
 さて、少しウンチクを。個人的に、エリクソンを好むのは色々が理由がある。この論文を読んで思うのは2つの点だ。
  • 部分と全体
  • 無知の知

 心理療法に限った話ではないが、仕事でも日常の場面でもいい大人が悩むのは、だいたいパラドクスを抱えているからだ。[3] これは、これはおおよそ「総論賛成、各論反対」となる。つまり、部分と全体の調整で困っているという構図だ。また、ここに対人関係ということが絡んでくるので更にややこしくなるという具合だ。ややこしいからいい大人が困るのだ。もちろん、会社などで人事権などの権力を使って力で抑えこむというのも一つのやり方だ。だが、強権発動でやっているといつかは不満が爆発するというのが世の常だ。

 これをどのように解決するのか?

 完全には解決できないにしても、部分と全体に起因する問題、課題に対していかに上手に対処するのか?このヒントを有り余るほど与えてくれるのがエリクソンの論文というわけだ。個人的には、システムの全体最適化がテーマの一つであるのだが、部分と全体の調整これ自体がシステムの全体最適化に他ならない。

 また、人は先入観で物事を見てしまう。あるいは、自信過剰[4]になって「自分は何でも知っている」というところからスタートしてしまう。もちろん、ここまで傲慢ではないにしても普通の人間は「知識を得れば、得るほど良い」と単純に考えてしまうところがある。しかし、そう単純ではないことを暗に示唆しているのがエリクソンの格好のよいところだ。

エリクソンは言語パターンとして Conscious - Unconscious を使う。

 個人的な解釈はこうだ。

 一つは、部分としての意識、全体としての無意識のメタファー。つまり、全体と部分にラベルを貼って、意識している部分と、意識されてない部分の集合体のような何かわけが分からないけれども存在している何かとししての全体を二分して、両方を意識してもらい、かつその関係についても意識してもらおうという格好になっているという具合。最終的には弁証法的に意識ー無意識の対立の解消を目指す。

 もう一つは、知としての意識と無知としての無意識のメタファー。つまり、意識で分かってくることは少しで、意識できないところにもっと何かの知識があることを示唆している具合。あるいは、無意識から構成されて意識に登っているところがほんの少しの意識というメタファーだ。少なくとも、自分が分かっていると自覚できているところが知識の全てではなく、分かっていないもっと大きな全体があると自覚するような「無知の知」のメタファーになっているという具合。

 さらに、エリクソンは言語パターンとして Conscious- Unconscious に加えて否定形をつかう。

これがクライアントが抱えている統合失調症的なダブル・バインドに対する治療的ダブル・バインドとして機能することになる。[5]
 
2月5日の進捗、288ページまで(全体 2,648ページ、進捗率 10.9%) 

Volume 1  : The Nature of Hypnosis and Suggestion

Another Example of Confusion in Trance Induction
Milton H. Erickson As told to the Ernest L. Rossi in 1976.

An Hypnotic Technique for Resistant Patients: the Patient, the Technique, and its Rationale and Field Experiments
Milton H. Erickson Reprinted with permission from The American Journal of Clinical Hypnosis, July. 1964, 7, 8-32.



(つづく)

文献
[1]http://ori-japan.blogspot.jp/2017/01/collected-papers.html
[2]http://ori-japan.blogspot.jp/2012/12/blog-post_26.html
[3]http://ori-japan.blogspot.jp/2016/12/blog-post_29.html
[4]http://ori-japan.blogspot.jp/2013/01/blog-post_21.html
[5]http://ori-japan.blogspot.jp/2016/12/blog-post_21.html


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