2017年3月10日金曜日

ミルトン・エリクソン論文全集を読む 69日目


                                                                                                                            
 エリクソンの技法は、単なる「神経現象」の話。

 しかし、システム論的な「生命」の視点は持っておきたい。

 そして、鈴木大拙の霊性だったら別だが、「スピリチュアル」はいらない(笑)

 <ひとりごと>



はじめに

 備忘録として、

 お正月から、ミルトン・エリクソンの論文全集『The Collected Papers Milton H. Erickson』[1] を読んでいる。読み方のルールはここで書いた。

 69日目について書いておきたい。

 少しずつ読んでいると、他をつまみ読みしたくなる。ネットに落ちていた 「Systemic Hypnotherapy: Deconstructing Entrenched Ambivalent Meanings In Self-Organizing Systems」[2]も読むThe American Society of Clinical Hypnosisの学会誌に投稿されたエッセーだ。2007年とエリクソンに比べるとかなり新しい。

 ここでは、補助線としてのシステム論にオートポイエーシス論を持ってきている。これをくぐらせてエリクソンの技法を見ている。有機的で生命を持った個々のシステムを記述できるのだろう。やはり、人間を観察するのに機械と見る考え方は合わない。

 これで、所詮フレームワークでしかないが少しは魂が入る。ヴァレラは『身体化された心』でオートポイエーシス論と中観派の仏教との融合を試みた。これも含めて個人的な趣味だ。もちろん、ルーマンの社会システム論としてオートポイエーシス論を拡張するとクライアントとセラピストの間に生まれるコミュニケーションを構成素として生み出される「結ばれあうパターン」を考えることが出来るようになるだろう。要は、コミュニケーションも生き物が織りなす生き物だ、ということだ。

 エリクソンは多重の見方が可能だ。だから、観察者のメガネで違った見え方になる。ただし、どれほど先鋭化されたシステム論を通して見てもエリクソンの全容が分かることはないだろう。これで取り出されたフレームワークは形式知化された時点で死んでいる。干物を海に戻したらからといって再び泳ぎ始めるわけでもあるまい。

 ただし、オートポイエーシス論をメガネに神経の現象と生命を頭の片隅において、エリクソンを観察するのはそれはそれで一興だ。もちろん、ベイトソンにならうと物事を観察する時は多重記述[3]しなければならない。オートポイエーシス論は、いくつかあるうちの一つの視点なのだろうが。決め打ちしないでいくつかのメガネを架け替えて見てみる。敢えて物事を多重に見て言挙げしてみるのも面白いということだ。

後の選択的注意につながる?

一本目は「An Experimental Investigation of the Hypnotic Subject’s Apparent Ability to Become Unaware of Stimuli (1944)」の続きから。催眠の被験者が刺激に気づかなくなる明らかな能力についての実証実験。実験1と実験2が行われた。実験1の手順は以下。

以下、数字の順番に従い実行される、

  1. 深い夢遊病的なトランス状態に誘導された被験者に選択された〈第一の人物〉に気付かないように指示される。
  2. 被験者が選択された人を無視するような適切なメンタルセットと神経現象学および心理現象学的を発展させるために指示から更に10分が与えられた。
  3. 上の手順と同じように〈第二の人物〉に気付かないように指示される。
  4. 適切なメンタルセットを発展するは非常に短すぎる時間しか与えられない。
  5. 〈第一の人物〉〈第二の人物〉との関係において被験者の振る舞いがテストされる。
  6. 被験者は〈第一の人物〉には反応を示すが〈第二の自分〉には反応を示さない。
  7. 被験者に〈第二の人物〉に対するメンタルセットを発展するのに十分な時間が与えられる。
  8. 被験者は視覚および聴覚のレベルで〈第一の人物〉にも〈第二の人物〉にも反応を示さないことを確認される。
  9. 被験者は〈第一の人物〉および〈第二の人物〉から触覚的な刺激を後催眠の手がかりから導かれる幻覚体験と誤解した。
  10. 被験者は事実ではなく幻覚の中で〈第一の人物〉と〈第二の人物〉との接触を確立した。
  11. 被験者の振る舞いは催眠暗示に反応し、現実に反応しているのではないことが明らかになった。
考察 

 良いか悪いかは別にして、面白い小説を読んでいてそれに熱中して入り込むと周りが見えなくなる、あるいは気にならなくなる。こういったことは往々にして起こる。これもある意味催眠現象であり、もっというと神経現象だということだ。単純に言うとこれだけであり、おそらくここに主観的な価値を入れてはいけない、ということなのだろう。単に誰にでも起こり得る神経現象なのだろうから。

 また、スマホを操作しながら歩いている。スマホに集中する。結果、周りが見えなくなって車や駅のホームの段差に気付かない。こういった現象の解明にも役立つ実験なのだろう。

3月10日の進捗、552ページまで(全体 2,648ページ、進捗率 20.8%) 

Volume 2 : HYPNOTIC ALTERATION   OF SENSORY, PERCEPTUAL    AND PSYCHOPHYSIOLOGICAL   PROCESSES

An Experimental Investigation of the Hypnotic Subject's Apparent Ability to Become Unaware of Stimuli 
Milton H. Erickson Reprinted with permission fromThe Journal of General Psychology, 1944, 31, 191-212. 

(つづく)

文献
[1]http://ori-japan.blogspot.jp/2017/01/collected-papers.html
[2]http://www.asch.net/portals/0/journallibrary/articles/ajch-50/50-1/fourie50-1.pdf
[3]https://books.google.co.jp/books?id=dcHqVpZ97pUC&pg=PA83&lpg=PA83

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