2017年3月28日火曜日

ミルトン・エリクソン論文全集を読む 87日目


                                                                                                                            
 レトリックとして「人間」と「神」みたいなことを導入すると、

 エリクソンの「意識」「無意識」と同じような

 治療的、統合失調症のどちらのダブル・バインドもつくれるなぁ(笑)。

 <ひとりごと>



はじめに

 備忘録として、



 お正月から、ミルトン・エリクソンの論文全集『The Collected Papers Milton H. Erickson』[1] を読んでいる。読み方のルールはここで書いた。

 87日目について書いておきたい。


催眠による血流の変化
 「Hypnotic Alteration of Blood Flow(1958)」から。著者はミルトン・エリクソン。

 The American Society of Clinical Hypnosis が設立されるのが1957年、その翌年の年次総会で発表されたのがこの論文だ。

 冒頭、臨床催眠の定義としてよく見かける表現からはじまる。




 In medicine, dentistry, or psychology, the primary purpose served in the experimental and clinical use of hypnosis is the communication of ideas and understandings for the purpose of eliciting responsive behavior at both psychological and physiological levels. 


医学、歯科、または心理学では、催眠の実験的および臨床的使用で役立てる第一の目的は、心理学的および生理学的レベルの両方で応答性行動を誘発する目的での考えと理解のコミュニケーションです。


 内容は非常にシンプル。2人の女性、5人の男性、合計7人の大学生の被験者に対して、催眠前、催眠状態、催眠後の血流の変化をプレチスモグラフで測定するというものだ。


随考

 禅の教えに以下がある。刺激的だ。


 仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺せ

『臨済宗』示衆


 ある考えが浮かんだ。少し説明したい。

《内向きのトランス状態を引き出す》

    ミルトン・エリクソンの技法に「意識ー無意識のダブル・バインド」がある。[2]

この技法の「ねらい」は以下だ、
  • 初期の方向づけ
  • トランス状態の開発
  • 腕浮揚トランス誘導での利用
  • 過去退行トランス誘導での利用
  • トランス状態から覚めた後での活用
  • その他
   余談だが、コーチングなどで「目標は肯定的に」と言われているが、本当のプロは目標の方向付けはダブル・バインドでメタ・レベルの拘束力を持って行うということだ。

さて、ひとつのバリエーションをあげると、以下のような形式で用いられる。X、Yは治療的な選択肢。


Your conscious mind can X, while your unconscious does Y, or your  unconscious can X,while your conscious does Y.

あなたの意識はXができる、一方あなたの無意識はYをしている、もしくはあなたの無意識はXができる、一方あなたの意識はYをしている。


具体的には、


Your conscious mind may have begun with the aid of your unconscious or perhaps your unconscious is ready to begin with any aid you can offer consciously.

あなたの意識はあなたの無意識の助けをかりはじめているのかもしれません、あるいは、あなたの無意識はあなたが意識的に提供できるどのような助けにも準備をはじめているのかもしれません。


 まず、話の前提として以下がある。

  • 部分としての「意識」
  • 全体としての「無意識」

 この設定がエリクソンの禅問答のミソだ。これは、単なる概念であり、言葉のレトリックだ。実際に存在しているかどうかは問題ではない。しかし実体験としては、「意識」として知覚できる行動や運動などが、メタ・レベルの概念である「無意識」にバインドされる。そして、以下の「治療的ダブル・バインド」が設定される。

  • 何かやっていることに気づいた、→それはそれでOK
  • 何もやっていないことに気づいた→それはそれでOK
  • 何れにしても「無意識」でやっているので、逃れることはできない
 
 ある意味、カリフォルニア大サンフランシスコ校のベンジャミン・リベットの言う自由意志の問題のような話になってくる。つまり、無意識が最初に行動を起こして、意識はその後にそれに気づくだけという有名な話だ。

 さて、バインドされた知覚ー認識、例えば(手が上がるーそれに気づく)がサイバネティクス上のポジティブ・フィードバック・ループで増幅されると、結果、普段とは異なる意識状態であるトランス状態に誘導される。エリクソンの定番の腕浮揚のトランス誘導の背景にある理屈は大体こんな感じだ。

 この場合のトランスは、エリクソニアンのスティーブン・ギリガンの定義によると「Internally oriented trance (内向きのトランス」ということになる。つまり、こころの中に焦点が当たりどんどん引き込まれるという感じになる。[3]

 普通の人はこういった「意識ー無意識のダブル・バインド」で内向きのトランス状態が引き出される。内的な資源・資質(リソース)を引き出し活用するためにはこのトランス誘導に乗るというのは一つの方法だ。エリクソンの被験者は普通内向きのトランス状態に誘導される。

 もちろん、これは禅の教えの反対で、敢えて言うと「仏に逢うては仏を殺さず、祖に逢うては祖を殺さず」ということになるだろう。よい意味で「意識」「無意識」の概念を利用して内向きのトランス状態を引き出していることになる。もちろん、恒久的な変化のためには、さらに、このトランス状態を利用したり、メタファーを話したり・・・とトランスから覚めるまで続きはある・・・このあたりの介入はエリクソニアンに学ぶと分かる話ではある。

《外向きのトランス状態》

 これとは反対のトランス状態として、同じギリガンの定義「Externally oriented trance(外向きのトランス)」がある。これは知覚が外に向いている状態で、こころの中の概念などに向いていない状態。言ってみればマインドフルネスの状態だ。宮本武蔵の目付けで武道家が闘う時のスキの無い状態でもあるが、エリクソンがクライアントと向き合っている時の状態でもある。エリクソンが周辺視野を使っている話は、このあたりで書いた。ギリガンの「The Legacy of Milton H. Erickson ...」にエリクソンがクライアントと向き合う時に自分の中のイメージや概念には焦点を当ててないことが書かれている。おそらく、コーチやセラピストはこの状態が取れないと良くも悪くもクライアントの影響を受ける。場合によっては疲労困憊するだろう。

 余談だが、エリクソンの妻のベティー・エリクソンの自己催眠の技法は、外向きトランスと内向きトランスの両方の練習方法が提供されている。

 話を戻すと、禅が求めているのは、エリクソニアンのいう外向きのトランスだ。つまり、「仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺せ」という教えについて考えると、「仏」という概念に囚われてはいけない、「祖」という概念に囚われてはいけないということになるだろう。

 治療的ダブル・バインドと併せて考えると、「意識に逢うては意識を殺し、無意識に逢うては無意識を殺せ」つまり、「意識」「無意識」といった概念に注意を向けず、今ココに起こっているだけに注意を向けることで「内向きのトランス」には誘導されず「外向きのトランス」状態にいることができるという具合だ。つまり、それが統合失調症的ダブル・バインドだろうが、治療的ダブル・バインドだろうが、どちらにもハマらない、ということになる。メタ・レベルが「空」ならばダブル・バインドにははまりようがない。メタ・レベルは、所詮自分がつくった概念だということだ。

 クライアントに向かい合うコーチやセラピストに求められている状態だ。今ココにある外にある知覚に注意が向けられている状態は、マインドフルネスとも言う。つまり、コーチやセラピストはクライアントにマインドフルネスに向かい合わなければならないということが分かってくることになる。

 このあたりの観察は、ダブル・バインドの仮説をつくったグレゴリー・ベイトソンが無神論でエリクソンと同じ1980年にサンフランシスコの禅センターで亡くなったことはなんらか関係しているのかもしれない。

 余談だが、「人が見ていなくても、神様はあなたの一挙一投足を見ています」。よくある表現だが、これ自体にダブル・バインドの構造があるのは良くも悪くも要注意なのだろう。これは企業で、「今の社長がどうであれ、創業者が生きていたらどう思うだろう?」のような考え方もそうだ。これがよいほうに出れば時代は変わっても素晴らしい理念が維持されるだろうし、悪いほうに出れば時代が変わっても新しいことは何もできない、ということになるだろう。ただ、そのままでは、その枠組みから出られない。

反対に、禅でも仏教も「無神論」であることは、こういったダブル・バインドにはまらないということではよくできているのかもしれない。マインドフルネスであるためには、「仏に逢うては仏を殺し、神に逢うては神を殺せ」というメタファーの意味が分かってくるだろう。要は、今ココにだけ知覚を開き、こころの中の概念に囚われてはいけないということだ。

3月28日の進捗、694ページまで(全体 2,648ページ、進捗率 26.2%) 

Volume 2 : HYPNOTIC ALTERATION   OF SENSORY, PERCEPTUAL    AND PSYCHOPHYSIOLOGICAL   PROCESSES

Control of Physiological Functions by Hypnosis 
Milton H. Erickson Originally presented at a hypnosis symposium at UCLA Medical School, June 25-27, 1952. Reprinted with permission from The American Journal of Clinical Hypnosis, July 1977, 20, 8-19. 

Hypnotic Alteration of Blood Flow: An Experiment Comparing Waking and Hypnotic Responsiveness M
ilton H. Erickson Unpublished paper presented at the American Society of Clinical Hypnosis Annual Meeting, 1958. 





(つづく)

文献
[1]http://ori-japan.blogspot.jp/2017/01/collected-papers.html
[2]https://books.google.co.jp/books?id=R2VxMM6fSl4C&pg=PA168&lpg=PA168&dq
[3]https://books.google.co.jp/books?id=10ZwjOtcAuwC&pg=PA7&lpg=PA7


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