2017年5月22日月曜日

ミルトン・エリクソン論文全集を読む 142日目


                                                                                                                            
 禅とパラドクスとイノベーション(笑)。

   <ひとりごと>




はじめに

 備忘録として、



 お正月から、ミルトン・エリクソンの論文全集『The Collected Papers Milton H. Erickson』[1] を読んでいる。読み方のルールはここで書いた。

 142日目について書いておきたい。


休刊日
 
  新聞の休刊日ではないが、今日の分は昨日読んでしまったので今日はお休み。

 たまには、こんな日があってもよいのだろう(笑)。

随考

    個人的なテーマとして心理療法家のミルトン・エリクソンがどのような理屈で、クライアントの認識の枠組みや行動の変化を支援したのか?ということについて非常に興味がある。既存の枠組みを超えて何かを行うことは一般的に言われる「イノベーション」につながる話でもあるからだ。

 結論から書くと、この理屈でもあり技法でもあることに〈ダブル・バインド〉がある。
 
 つまり、エリクソンはクライアントを癒やすための技法つまり How として〈治療的ダブル・バインド〉を使い、人類学者のグレゴリー・ベイトソンたちはこれから統合失調症の原因仮説つまり Why としての〈統合失調症的ダブル・バインド〉を理論化した、ということだ。

 エリクソンというと催眠というキーワードが浮かぶが、エリクソンの本質は、エリクソン的な治療的「禅問答」にあるわけであり、クライアントへの催眠や暗示で催眠導入に成功しても、ここで認識の枠組みを越えた大きな変化が起こるわけではない、ということだ。

 このあたりで書いた。
 
  これに関して、Youtube にアラン・ワッツの語っているダブル・バインドがアップロードされていたので視聴してみた。

 アラン・ワッツ(1915-1973)は英国生まれの哲学者で作家だが、グレゴリー・ベイトソンらの定義するダブル・バインドの定義から始まって自身の考える思想めいたものを面白く語っている。ワッツが面白いのはダブル・バインドと禅の共通性を見ていたことだ。




  ネットに「Double Binds」というタイトルのワッツ関連の怪しい文章が落ちていた(笑)。


Usage in Zen Buddhism: According to philosopher and theologian Alan Watts, the double bind has long been used in Zen Buddhism as a therapeutic tool. The Zen Master purposefully imposes the double bind upon his students (through various "skilful means", called upaya), hoping that they achieve enlightenment (satori). One of the most prominent techniques used by Zen Masters (especially those of the Rinzai school) is called the koan, in which the master gives his or her students a question, and instructs them to pour all their mental energies into finding the answer to it. As an example of a koan, a student can be asked to present to the master their genuine self, "Show me who you really are". According to Watts, the student will eventually realize there is nothing they can do, yet also nothing they cannot do, to present their actual self; thus, they truly learn the Buddhist concept of anatman (non-self) via reductio ad absurdum.


禅仏教における(ダブル・バインドの)使用法:哲学者であり神学者のアラン・ワッツによれば、ダブル・バインドは長い間、禅仏教において治療の道具として用いられてきました。 禅師は意図的に、彼らが覚りを達成することを望んで、彼の弟子にダブル・バインドを意図的に課しています(さまざまな「巧みな手段」、upayaと呼ばれます)。 禅マスター(特に臨済宗)が使用する最も顕著な技法の1つは、公案と呼ばれ、マスターが弟子に質問をして、精神的な力を注いで答えを見つけるように指示します。公案の一例として、生徒は自分の本当の自己をマスターに提示するように求められます。 ワッツによれば、弟子は最終的に彼らが実際に自分自身を披露するために何もできないものは何もできないことを認識します。 したがって、弟子たちは、背理法による非自己を通して本当に仏教の概念を学ぶことができます。

 
確かに、ワッツの著作「The Way of Zen」あたりにこういったことが書いてあった記憶がある。

 背理法と言えばナーガルジュナの『中論』にある空のロジックが背理法と近似と語られる場合がある。あくまでも近似ということだが。ワッツはダブル・バインドの「中論」で延々語られる背理法的な自己認識を見ていたということになる。

  ジェイ・ヘイリーの「Zen and  The Art of Therapy 」にワッツのことが言及されているところ読むと、変化の理屈としては禅との共通点を見ていた、ということが分かる。

 結局、エリクソンがやっていたのはクライアントを催眠状態に誘導して、背理法、あるいは弁証法的なロジックでクライアントの認識の枠組みや行動の変化を支援していたということになる。もちろん、禅とエリクソンが同じといいたいわけではなく、あくまでも近似的に共通した何かがある、ということなのだが、変化の技法の本質が似かよったものになるというのは間違いないのだろう。

 何れにしても枠組みを超えてイノベーションを行う方法も、枠組みを超えて人を癒やす方法も認識論に還元してみれば、同じようなことだ、ということなのだろう。

 
5月22日の進捗、1120ページまで(全体 2,648ページ、進捗率 42.3%)

Volume III
HYPNOTIC   INVESTIGATION OF   PSYCHODYNAMIC PROCESSES












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(つづく)

文献
[1]http://ori-japan.blogspot.jp/2017/01/collected-papers.html


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