2017年6月25日日曜日

ミルトン・エリクソン論文全集を読む 176日目


                                                                                                                            
 
  ミルトン・エリクソンとか家族療法の話を真面目にやっていくと

  「内部観測」の話になっていくのだよなぁ〜(笑)。


   <ひとりごと>




はじめに

 備忘録として、



 お正月から、ミルトン・エリクソンの論文全集『The Collected Papers Milton H. Erickson』[1] を読んでいる。読み方のルールはここで書いた。

 176日目について書いておきたい。

痛みを伴う終末医療における催眠

「Hypnosis in Painful Terminal Illness (1958, 1959) 」から。著者は、ミルトン・エリクソン。1958年の講演内容を 1959年に書き起こして発表した論文。

 内容は、激しい痛みを伴う末期がんのような終末医療において、クライアントのクオリティ・オブ・ライフを高めるための催眠を用いた疼痛のコントロールについて書かれているのがこの論文。

 エリクソンが考えていたことは少なくともこうだ、催眠を適切につかって末期がんなどの疼痛はコントロールすることが可能、これによりクライアントが終末を穏やかに迎えることができる。もちろん、ネットのトンデモ記事とは異なり、エリクソンがプラセボ効果を当てにしてガンが治るとか言っている事実はまったくないし、そんなことは論文には書かれていない。その点、エリクソンはすごくまともでエビデンス重視の人だ。

 この論文では3人の事例が出て来る。三人とも末期のがん等を患っているが、エリクソンの催眠によってあまり痛みを感じることなく、穏やかな最期を迎えたという事例。技法的には「時間歪曲」などが関係してくる。

 もちろん、私は医者ではないので詳しいことは分からない、現在であれば、麻酔の技術も薬品も相当発展しているところがあるだろう。ただし、ネットの学術論文を検索すると現在でも「催眠と疼痛管理」のような論文が存在しているところから察するに、他の方法と比べて、状況によっては優位性があるということなのだろう。

 ただ、個人的に思うのは「痛み」というは神経現象であり、言葉と意識の使い方でこれをある程度コントロールするのは可能だというのは非常に不思議なところだ。要は、「こころと体は相互作用する」あるいは「こころと体はひとつのシステムのふたつの現れ」であり、デカルトの世界観の反証ということだ。

 余談だが、日本には禅僧の快川紹喜に「安禅必ずしも山水を用いず、心頭滅却すれば火も亦た涼し」があるが、織田信長の焼き討ちをうけて怪川が焼死した時の言葉が「熱い、熱い・・・」だったという逸話も残っている。これもまた、神経をコントロールでなかったのか?あるいは、あえてマインドフルネスでいたのかを考えると興味は尽きないところだ。
 

随考

――権力とコントロールを超えて? ――

 ネットに家族療法家リン・ホフマンの「Beyond Power and Control :Toward a "Second Order" Family Systems Therapy (1985)」という論文が落ちていたので読んでみた。

  このあたりの家族療法は広義にミルトン・エリクソン派生となる。それで、ネットにミルトン・エリクソンを誤解して「クライアントを気付かないうちに催眠に入れる」とか「セラピストがクライアントをコントロールする」とかの誤解が溢れているのだが、実はこのあたりの背景にある世界観は、個人の考え方に問題があるという以外にも、背景にあるシステム論の誤謬のようなもっと深い話になってくる。

 ホフマンは御年92歳、現在は家族療法家としては重鎮中の重鎮というような位置づけだが、もともとはアッカーマン研究所時代のジェイ・ヘイリーのもとで秘書をやりながら下積みをし、徐々に頭角を表してきた人物だったと記憶している。論文中に書いてあるが、当然、ベイトソン在籍中のMRIとも交流がある。

 タイトルからすると、権力とコントロールを超えて:セカンド・オーダーの家族療法へ向けて、ということになる。セカンド・オーダーの意味は、サイバネティクスがノーバート・ウィナーに始まる機械論的な第一次サイバネティクスから、ハインツ・フォン・フォールスターやグレゴリー・ベイトソンに代表される生命を対象にした第二次サイバネティクスに変更されたこと。これに尽きる。ホフマンの論文では第二次サイバネティクスとほぼ同意のオートポイエーシスを持ってきている。

 簡単に言うと、短期療法や家族療法もデカルトやニュートン系の知見でもって形式知化すると、直線的因果関係に基づいて、クライアントより1段上で安全なところにいるセラピストがクライアントに一方通行で命令をして何かやらせる、スタイルになってしまうことを言っている。

 もちろん、これだとクライアント自ら自律的に問題を解決する、というスタイルにはならないし、ゴールもセラピストや世間の常識の押し付けで、クライアントの真のニーズというものもつかめていない。また、押し付ければ、それに対する反作用としての抵抗も大きくなる、とあまりよいことはない。

 こういった不都合を解決するために、第二次サイバネティクスでリモデリングしましたというのがここでの趣旨だ。具体的には以下になる。主語は「セラピー・システム」とすると良いだろう。

  1. 「観察システム」の立場とセラピスト自身のコンテクストを(セラピーシステムに)包含する。
  2. 階層的な構造ではなく、協調的な構造を持つ。
  3. 変化を指示するのではなく、変化のコンテクストを設定することを強調する目標を立てる。
  4. クライアントを「モノ」として扱うことを防ぐ手段を持つ。
  5. 問題は「円環的因果関係」から発生しているという見立てを行う。
  6. セラピストの主観は交えず、審判的な判断も行わない。

 長くなるので、いちいち書かないが、第二次サイバネティクスの定義は「観察するシステム」も「観察されるシステム」と相互作用してお互いに影響を及ぼすという定義になっていたことを思い出す。このあたりで書いたが結局は、デカルトの世界観からベイトソンの世界観への転換を示しているが、家族療法や組織のマネジメントなど生き物を対象とした世界は、権力とコントロールを駆使して強引に従わせようとしても上手くいかない、ということになる。

6月25日の進捗、1388ページまで(全体 2,648ページ、進捗率 52.4%)


Volume IV
INOVATIVE HYPNOTHRAPY

Hypnosis in Painful Terminal Illness Milton H. Erickson Presented before the Eighty-Second Annual Session of the Arkansas Medical Society, May 6, 1958, at Hot Springs, Arkansas, and being published simultaneously by The Journal of the Arkansas Medical Society. Reprinted with permission from The American Journal of Clinical Hypnosis, January, 1959, 1, 117-121.





お知らせ:

ミルトン・エリクソンの本質を突き詰めたから分かったことがあります。

 組織のパラドクスを解消し、組織の認識、行動の変化を支援する、
「変化・創発ファシリテーション」のオンデマンド、オンサイト講座を開始いたします。

詳細は、こちらから。


(つづく)

文献
[1]http://ori-japan.blogspot.jp/2017/01/collected-papers.html


記事の内容の正誤について、執筆者は一切保証いたしません。また、本書の内容、エクソサイズなどを実行した結果被った被害などについて著者は一切責任を負わないこととします。本ニュースレターの内容は、以下クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに従うものとします。但し、引用元の著作権は引用元に所属します。ご意見、ご感想は次へ tritune'`@''gmail.com

https://www.facebook.com/Okirakusoken-236949276723679


――

0 件のコメント:

コメントを投稿